成長と、見えるということ

大学の授業のひとつで、実際、小学生の授業を
ビデオにとらせてもらい、分析してみよう
というのがあって、ときどき、思い出します


自分たちがそのとき、書いたレポートの
題名が、「見えている」ということだったと
思います
物理的に、先生が、生徒の存在を見えてるか
はたして、指導という点になると、その生徒の
受け止め方、理解の度合いが見えているか
また、やる気ということが見えているか


見えるということは、大事なことです
昨日、ディープラーニングのことを、書きましたが
去年読んだ、新聞の記事で、AIの特徴、ディーウラーニングを
使うということは、コンピュータが「目」をもつことだ
という表現をしていました
つまり、人間が赤ん坊のときから、積み上げたもので、ねこなら
ねこと認識するものを、作り上げるように
コンピュータ上に、概念といっていいことを、もつ
という意味でしょうか


そのコンピュータ上の「目」は、データの集まりから、「意味」
といったことを、導き出す?導き出すのは、言い方が悪いかもしれない
ですが、ヒントとなりうる、方向らしきもおを、アウトプットする
といっていいかもしれません


私の興味の持ってる、人間の成長ということ
自分の成長にとって、大事なこと、ということが
見えてない人に、見えるようになる、ということは
ディープラーニングの応用でいえば、そういう機会に
たくさんふれること、とも思うのですね


人の成長というのは、やりたいと思う気持ちを持つ
ことからはじまるのでしょう
やりたい、というのは、どういうことでしょうか
人によっては、ハングリーな気持ち、つまり
もっと豊かになりたい、いい生活をしたい
結婚するとか、自分の家族をもちたい、そういう思い


根源的に、成長したいのだ、ということも
言えそうです
自然な、原点にかえっていけば、もともと
成長したい、という気持ちを持った存在だということ


その1点から考えると、成長したいという気持ちを
止めてる、なにかしらから、離脱するということが
重要かなとも思います


いいかえれば、自分のなかのなにか、ひっかかりを、
見える化し、そこから離脱して、本来もってる
成長したいという気持ちに素直に従う自分を作る
ということでしょうか


いずれにせよ、自分自身をみつめる、向き合う
ということ、ぬきには、話は始まらない
といっていいですね