神様は人間に記憶という大事な宝物を与えてくれている
・・・記憶の「憶」という字の意味は、心で言葉が立つ
日に心が宿るということ・・・
どういうことかというと、話す人の記憶と思いがしっかりしていて、きく心のある相手にそれが届いたとき、はじめてその話に心が宿る・・・
記憶の「記」は「言」という漢字に「己」と書く。言う己が、しっかりしとらん者には「記憶」は授からん・・・
じいちゃんはな、おまえに心をこめて、これまで、いろいろ話してきた。おまえはそのじいちゃんの話を、おまえの心の全部で受け止めてくれた・・・
神様が人間に授けてくれた記憶という宝物は、つまらんことを覚えるためにあるわけじゃない。
自分につながった人間の魂を、いついつまでも覚えていて、その人を生かしておく為にある・・・
以上 灰谷健次郎 「天の瞳」より
今日はお正月で
記憶に残る話が少しできるとうれしいな・・・