自分はどう生きるのか

ときたま、聴く話で、人は自分のためよりも
人のためなら、いろいろがまんができたりするものという
ことがある
親が子どものために、いろんなことをする
子どもの成長が自分の生きがいだという
それは自然な気持ちかもしれない


他人のためということでも、人のためなら
なにかがんばれてしまうという人がいる
私もそうかもしれない
スポーツのコーチなどでも、自分のプレイがよくなる
ということよりも教えてる相手がよくなることに
精魂を傾けるわけである


スポーツの世界では、必ずしもいいプレイヤーがいい指導者に
なれるのかというと、答えはNOである
プレイヤーとしての必要なことと、指導者としての必要なことが
イコールではないのだ
そういうこととは別に、自分がどう生きるのかということが
定まってないのに、相手に対してなにかする
対人援助という立場にたちたいというのも、ある面
よくあることだ。


このごろよく思うのは、まず自分がどう生きるのか
軸をさだめようということだ
私はコンピュータシステムの世界で営業するということを
どんどん言っている。そして、そのために必要だから
人材育成に、社員教育に力を注ぐのだと思ってる


少し自分のことを振り返ってみると、人材育成ということに
力を注ぐということが必要なのだけど、軸足がそっちということに
なっていないかと、感じることがある
もっと、顧客に対していろんなことをして、「仕事をとる、売上をあげる」
ということに、注力すべきじゃないかと反省してるときがある


チームでなければ、いい仕事はなかなか難しい
いいチームを作るということは、まず人材育成だ
このことは、正論
二兎を追うもの一兎をえず
なのだろうか
当然のことながら、営業も人材育成も
片手間ではできないのです


どう生きるのか
どう活動することが、最大の効果を生むのか
いつも考えなければならないのです