選択

受験勉強をしていたとき
自分が一定のところ、集中して、本を読解するとか
数学の問題を解くとか、必要な暗記ものに
取り組むとか
ちょっとは勉強した思い出がある


よく思い出すのが、一定のところ、集中して机に向かう
ということがなかなかできないというか
エンジンのかかるまでに時間がかかってしまう
一応、夜8:00からはやると決めるとする
ところが、食事のあとなにかしら気になること
電話がかかるとか、まえに見たテレビの続きがあるとか
誰かがいっていた、興味深そうな記事を見てるとか
ありとあらゆることが気になる
時間が近づく。あ、こんなに心が乱れてるのなら
時間をずらして、短時間でも集中してやろうなどと
自分に都合のいい理屈をつけて、決まった時間が
きてもやらない


そうした、気が散ることとか、自分との戦いは
実際のところ40代(いいえもうすぐ、50代だね)の私
いまでもやってるなー、と思う
けれど、少しだけ10代のころとはちがうのは
どうしてもやらなくてはならないことは、エンジンを
その都度かけてやるのではなく、エンジンをかけっぱなしに
してしまうことかな


そうしたやり方が、ほんとうにいいか?を話そうとしてるのではない
生き方として、なにかこれが大事と思ったら
そうして、あることを考え続けることが、自然というか
やることになるように思う


わが社で、研修のことを企画してる社員は
実際のところ、ほんとうに、技術者がどんなふうに
知識を取り込むかということ、それからプログラムに興味を
持ち続けるにはどうするかといったことを
考え続けてることを、感じる
会議において、どうしたら、教えられる側にいる人に
アプローチできるかというようなことがよく話題になる


彼の表現によれば、技術の仕事で身につけなくてはならない
知識があるとする。それを与えるのではなく、身に着け方を
ガイドしていくという。魚を渡すのではなく、魚の取り方を
教えたいという


それから「勉強してる」と真正面から意識させるのは
いかがなものか、ということをよくいってる。興味をもてば
自然と本やらネットから、関連のものを見たくなる
そうした、自然さ、興味をもつことからはじめたいといってる


こうしたことは、自分の体験もそうだけど、考え続けなければ
なかなか、スムーズにでてこないことかなと思う
いいえ、アイディアとしてはでてくるのだけど、そのことを
自分のふるまいとあわせて、まわりに対して実践して成果を
あげていくということは、エンジンを止めずに考え続けることが
どうしても必要という感じがする


エンジンを止めずに考え続けること。このことってそのまま
「生き方」といっていいかなと思う
そして、自分で生き方を選択するということは、ずっと考え続けて
実践することを選択するということにつながる
ずっとやることで、人からも信用される
信用されるから、普通はださない、貴重な情報、そして味方に
なってほしいというメッセージを発してくれるのではないか


情報は人が持ってるものです。人から信用されてその人の
大切な情報をもらえるようになったら、とても素晴らしい
それから、それは本当に責任をもって、生きるということに
つなげなくてはならない