ゾーンにはいる

好きなコミックの、「エースをねらえ」の好きなシーンに
主人公の岡ひろみが、自分で意識しないで、相手の弱点をつくといった
あれれ、と思うような、描写がある
岡ひろみの、コーチの宗方仁が、プレイヤーだったときには
火事場のばか力を、普段からだせるような、プレイヤーだった
という記述がある


いつか、テニスのテレビ中継で、伊達公子があるとき選手が
いつももってる力以上の力を、プレイに集中することで
だせるときがあるという話をしてる。伊達のいいかただと
ゾーンにはいるという言い方になる


ほんとうに、レベルはぐっとさがってしまうと思うけど
テニスのレッスンなり、自分たちでの練習試合でも、いい動きが
できて、集中できると、もっとテニスをやりたい、という気持ちが
素直にでてくる。これもゾーンにはいれたからといっていいかもしれない


直木賞作家、安部龍太郎等伯のもりあがるシーンで
何度かつかわれてる、やりかた。等伯はゾーンにはいることで
絵を高めていったという。たとえば、高僧の心をどれだけうけとって
その絵に命をふきこむことができるのか
これは、なまはんかなやり方だと、おそらくはその心の
受け取り方が、足らない、という状況は起こる
そこで、高僧の生きたその道筋の苦悩や葛藤を、自分も追体験するような
といったらいいのか、とにかく相手にのりうつる勢いで、向き合っていく
そして、自分が自分でなくなり、絵をうまく描こうなんて
ところから、とびだして、のりうつったなにかが、絵筆をうごかしつづける
そんな雰囲気だろうか


生きていくとき、ゾーンにはいるということが経験できることは
素晴らしい。恋をするとき、仕事で集中して成果を
だせるとき、そして家族を思って、気合がはいるとき
そんなとき、ある種のゾーンにはいってるといっていいのでは
ないか


幸い、何度か仕事をしていて、達成感を感じれるまで、やったなと
思ってる時期というかそういう時間をすごせたことがある
あたりまえかもしれないが、そうしたあと、しばらくたって、
同じようにやろうとしても、結構時間がかかるというか
そのときの集中力を、だすのが大変だなと思うことがある
そこまで、まえに集中できたんだなと思うことと同時に
意識して、その集中力を、だせたらいいのになと思う


そんなふうな、思いをもっていて、うつわの窯元にいったとき
ある作家が言った言葉が、すっとはいってくる
いま、自分はひとりで、なんでもやる。ろくろもひくが
窯炊きもやる。当然、営業というか売るために、なにかやってることもある
そんなことを、やっていると、どうかすると一か月ろくろのまえに
すわらないこともあるのだ。そうしたとき、手がそのまえの技術を
忘れてしまってるということが、ときどきある。練習しないと
もどらない。


仕事をするということは、自分を忘れて、そのうえの集中の世界に
はいるということが大事といえるかもしれない
またそうした思いができるということは、幸せだということも
いえるかもしれない
まだまだ挑戦は続く