なめるな

特に、若いときに仕事をなめていたと思う。なめていた、となると
そんな態度でいいのか?って誰もが思う。なめていること、いいかえれば
のんでかからないと、やっていけないという意識があり、身体が
動かなかったといったらいいのか?


自分で決めて、銀行にはいった。銀行には優秀かつ細かい性格の人がたくさんいて
自分としては、いやはやなんとも困ったと思った。
最初配属されたのは、個人のお客様の財務相談を受けたまわるという部署だった。
これまた、お客様のお金の事情を扱う、細かいことを気にする仕事だった。


どちらかといえば、おおざっぱ。先日も誰かへの指示という形の文書の中で
「反射神経で仕事をする」なんて書きましたが、自分の若いときこそ、反射神経で
仕事をしていたと思う。その日、その場は集中してやるけど、しっかり準備すること
ある事柄について、落ち着いて整理することは苦手だった。


でも銀行時代のひとつひとつは、とても今の自分に生かされてると思う
後輩を教えるようになって、結構自分としてはがんばって、仕事したと思う
お客様の前でのふるまい、たとえば出されたお茶は必ず全部飲むことなど、
指導した覚えもある。そして、自分のなにげなく言ったひとことが
お客様の気持ちの不快感につながり、クレームになったこと。こんなことは
たくさんあった。


失敗は人を育てるということはあると思う。いいえひとつの失敗をしたとき
自分がどう感じて、その次の行動にどういかすか、このことはぜひ
必ず覚えていてやらなければ、ならない。
失敗をすることで、やっと少しずつ、なめていた態度について
どうしていったら、自分を変えられるか、真剣に考えるようになり、気持ちも
変わってきたといっていいか


自分の感じることを、ナマナマしく受け止めて、そのことを仕事をする
エネルギーの元にすることは大事なことだと思う。人が集まって仕事するのに
マネジメントがいる。そのマネジメントがうまくいってない、そんなことを
感じたら、いつかそこを自分の考えで変えようと感じたこと。そんな
ふうに自分に感じたことを、しっかりやるのは大事だ


人といっしょにであるとか、評価されるのが人ということ、ということが
伴うとしたら、一定の割合の仕事は、過半数の人が支持するやり方をする
というのがとっても大事だ。どうしても、自分としてはこだわって
人にあわせたくないという部分は、そこはそこで相談するしかない
ただ、おそらく自分のこだわりを、おおくの割合いれて仕事して
長期間それでとおるという状態は、芸術家でもないかぎり、難しい


仕事をなめたり、のんでかかるという行為が、「自分が楽だから」という
ことが第一でやってるなら、ぜひ改めてほしい
そういう、厳しい目を自分にもって、緊張感を持って仕事してほしい
一方、ときには余裕がないとか、まず経験することが大事だといって
「体当たり」で仕事する瞬間はあってもいい。だけどしっかり
反省がともなうなら、体当たりも経験になるが、そうでないとなると
身勝手な行動になってしまいます