ちょっとずつでいいから

ちょっとずつでいいから
成長してほしい
成長したい


繰り返し起こることとみえる、ことがある
景気の循環であるとか、もっと大きな流れでいえば
歴史は繰り返すなどという言葉もある
繰り返すだけなら、生きてる意味があるのかと問いたい
繰り返すだけでなく、ちょっとずつは、よくなっていたい


昨日、親しい人と、伊勢神宮遷宮は、技術者の、技術の継承という
意味があるんだよねという話をした。おそらくそれこそ
20年前に、共有してる親しい人と会話した内容
それを、昨日思い出すようにいって、技術を伝えていくという
ことに20年という意味はあると感じてるという話をした


ここで思うのが、伝えるということは、創造的ということを含む
ということだ。言葉だって、人間のやる行為だって、まったくコピーは
できない。いいえ、やってみればわかる。自分の創意工夫があるから
伝える、また教えることができるのだ


民藝の器の里をたずねてるうちに、親子ほどの歳の差というのは
ものごとを伝えていくのに、ひとつの理想的な形なのだろう
という気持ちになれた。


人間は、いっぺんには、なにごとも大きなことはできないものだ
そうだとしたら、やっぱり人と協力して、じわじわとやるということが
必要になる。またそのじわじわのなかで、人が少しずつでいい成長する
ということをいれていきたい
成長してると感じれるから、続けることができるのだ


これも前にも書いたのだが、例えば芸の世界、音楽でも伝統的な芝居の
歌舞伎であるとか、書の道でもそうだろう。3歳からやってます
という話がでると、あ、そんなに小さいころからやれば
できるかもね、と人がつぶやく。ここで、思うことは
3歳から続けてるその情熱に、拍手をしたいということだと感じてる
その、ちょっとずつでも前に進むことを続けてる情熱


楽器をちょっと覚えた、1年とかはそれなりに、うまくなるかもしれないから
楽しい。でもその後もずっと続けてその技術を高めていくというのは
結構大変なものだ。


仕事のうえで、やっぱり楽しむということが伴うことが
ひとつ、うまくなっていく極意といっていいと思う。それには
重箱のすみをつつくようにして、自らを仲間をほめることも必要
まずは、自分の意識を、前向きに、いい状態を保つということも
必要な要素だ


ちょっとずつでいいから、なにかしら、仕事人として、大切な人を
追うと決めた自分として、毎日、成長していたい