モースが見た日本

江戸東京博物館に、「明治のこころ」モースが見た庶民のくらしを見に行く


http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/special/2013/09/


大森貝塚の発見者で、あのフェノロサが日本に来るきっかけを作ったという
モースが、日本からもちかえった、明治の日本の写真、日常生活の道具、模型
生き人形などを見に行く


一番印象に残ったのは、子供たちの天国という表現。その頃の日本、子供がとても
大事にされていたという。確かにそこにでてくる写真の子供は太ってるし
笑ってるし、いい感じで仲間と遊んでいる。「子供が泣き叫んでるのを聞いたことがない
また、母親が子供に癇癪を起してるのを見たことない」とモースはつづっている
これは少し極端な見方じゃないかとも見えるのだけど、モースは子供が
世界中で一番大事にされてると、記述してる


ふーん。それは素晴らしい。前に何かの解説に、明治には、日本中に小学校が
作られた。それが村では一番立派な建物だったし、学校の先生は、尊敬の対象だったと
いうことが載っていた。


もうひとつ、花器をあげて、日本人は自然を愛する心を大切にしていて、家の
なかに、実にさりげなく花をかざる習慣があるという
竹でできてる、花活け、とんぼやせみの形をしてる。その作りの精巧なことに
モースが感嘆する
江の島で、何週間も泊まり込みで、シャミセンガイの研究をしたというモースは
日本の海は、宝物がわんさとでる、魅力的で不思議なすごいところ
澄んでる人は、自然を愛し、文学をたしなみ、陶芸をして、食文化も
不思議で高度。「おとぎの国」のように映っていたのではないかと感じた


日本は夏暑く、冬寒い。冬の寒さをしのぐものが、当時の江戸の生活には
火鉢しかないという。うさぎの形やたぬきの形をした火鉢があった
中に炭をいれて、手をあたためるのだという。陶器のもの。
いまの日本の家は、窓はサッシで気密性が高く、屋内にはエアコンであり
古い家でも石油ストーブがあるだろう
火鉢というのは、いかにも寒い


学生時代にお寺の宿坊に泊まったことがあった。そのとき、まさに
古い家(隙間風もなんとなく感じたし)火鉢しかないという状況が
あった。場所は奈良で、3月だった。寒かった。冷たかった。
寒くて寝られないという体験はあのときが、鮮明だ。
昔の人は寒さに強かったのだろうか


明治という時代を思うとき、その多くの様子を江戸時代から引きずっている
ということに、最近気が付くことがある。
たとえば、明治というより、江戸時代から現代につながるという話。
からくり人形のからくりといった、ことがあるから、その後の工業化の
発展につながったこと。半導体の重要な素材である、機能紙は、日本の
伝統的な紙漉きの技術が使われてるということ
江戸から続いてる、文化、技術が現在も息づいてることに驚きと誇りを
思う
文学や茶道など、庶民も楽しむ文化の高さを持っていた、日本を思う


モースという好奇心と探究心のある、おそらく日本をずっと愛した
米国人の目を通して、僕らの二世代、三世代前の人の様子をかいまみた
ちょっとした、タイムトリップの気分だった。