和食 日本人の伝統的食文化がユネスコの無形文化遺産に

このニュースをみて、まず浮かんだのは、和食とはなにか
ということ。きわめて、定義はあいまいになると感じる
日本政府による、アピールには
「四季や地理的多様性による、新鮮な山海の幸」「自然の美しさを表した盛り付け」
「正月や田植えなどとの密接な関係」という文化性の高さをアピールとのこと


ふんふん、いいことには違いない。それと同時にそうして、和食のいい点
伝統的な文化としてのアピール度をいわれてみると
実は、日本人のとくに若い世代の日常の食事はそれから
ずいぶん離れたところにあると、いっていいと感じる
四季を感じる、土地のものを感じるということは、なくなってきて
久しい。野菜、くだもの、海のものも「旬」を忘れたというか
そういうコンセプトで食事をしていない人の多さ
地産地消といま、いわれはじめているが、そんなことをやっと
意識しようという、流れができるほど、その土地のものの良さって
忘れられている。


自然を意識した盛り付けも、コンビニ、スーパーで買ってきたもの
パックのまま、食卓にだしたりって平気って人、多いと思う
まして、正月や田植えというけど、お正月といっても
伝統料理は食べない、田植えなんて、みたことももちろん
やったこともない。これが平均的ないまの人の姿ではないか


いいえ、せっかくのいいニュースを、ペチャンコに悪い話で
ぬりかえようなんて、意図はないんです
和食は好きだし、ぜひ和食のよさを、感じる人が多くなってほしいと
思う。だから、「旬」を感じたり、その土地の良さを感じたり
していたいと思うし、盛り付けもという意味では器も選べる目も
ほしい。田植えはちょっとまってだけど、お正月は
少しだけでも、お正月らしいこともしたい
それから、そうしたことが、本当に意味あると自分で感じれたら
それを少なくとも仲のいい人とはわかちあいたい


京都が好きで、何度かいって、特に「京都らしい食事」というのにも
あこがれがある。ある人に聞いた。京料理っていうのは
特定の食材を使ってることを言うのではなく、包丁さばきを中心とした
料理法なのよと
その人は、仲もいいし、結構好奇心が旺盛かつ、自分の目で自分の舌で
確かめたことでものを言う人なので、結構参考にすることが
多いのだけど、そういう意味で、上記の自然の美しさを表した盛り付けが
大事という話とは符号する


一度というか、いつかは、京都の錦市場で買い物をして、自分で料理したいと
感じている。京都にいって、錦市場がとても好きになって、何度かいくのだけど
ただ、お土産を買うだけだと、錦市場の楽しさを堪能できないことに
気が付いたからだ。
京野菜がある、質の高い、鶏であり、昆布やその他の食材が、とってもうれしくなる
それを、料理したいのだ
料理好きには、いいニュースの無形遺産のニュース。話題になることが
ふえるのなら、料理するということに意識を向ける人が増えると
いいなと思う