若い人へ

このごろ、失敗談を話すということを
ちょっと、続けてみようかなと思う
それは、ひとつには、なかなか聞けないことなんじゃ
ないかっていう思いがあること
もうひとつは、チームのありかたとして
いろんなこと、たとえば一見、自分の恥をさらすようで
いいにくいことも、言える仲間になっていこうと
思ってるので、自らそんな「さらけだし」もしていこうかと
思ってること


河合隼雄先生の本に、例えばロールプレイをやるとして
必ず、見てる人。つまりロールプレイなので
役どころを決めるわけだけど、それ以外に観察して
あとで、どうだったと言える人を作るという、やり方で
やりなさいという記述がある


そうしたときに、やってる側より、見てる側のほうが
やっぱりよく見えるので、ある指摘をする
その指摘が的を得ていても、いいえど真ん中に的を得ていたり
するとかえって、それをそのまま、ああ、なるほど、自分でも
そう思ったと、指摘された側は、いいにくいものだと
書いてる
そうなんだけど、はあ、確かにそうですね、気が付かなかったと
素直にいえると、指摘したほうも、いい感じで話を続けられる
さらけだしができずに、ごまかすというか、ああ、それは自分も
わかっていたなんていうような態度をとられると
しらけるものだという


若い人に、なんらか気づきがあるような、そんな場面に
会えるような、雰囲気と場所でありたいと、システマーズを
思う
若い、可能性のある、意欲的な人が増えることを願っている


スポーツをするということは、意欲的になることだとか
メンタルで自分が成長するということを、促すいいことだととても感じる
ことがある
テニスのレッスンにて、いいショットを打つことに気持ちを
向けるのでなく、ふつうのショットをいかにミスしないで続けるかに
気持ちを向けてくださいという指導がある
いい指導だ
つまり、ミスしながらでもいいショットを打つほうが楽だという指摘
いいショットを打つ、気持ちいい。だからそれがでるように
前後ミスしても、自分で自分を許す
それが、やりがちな態度だ
ところが、厳しいのだけど、そんなにいいショットなんていらないから
ミスをしないで続けて、打ち合ってください
これは、メンタルなプレッシャーがかかる


テニスでいえば、4大大会といって、全英、全仏、全豪、全米という
大きな大会があって、トップの選手がしのぎをけずる
そうした選手をみても、自分との闘い、プレッシャーと戦っているのを
感じる。テニスは相手に直接ふれるなんてことはできないから
ボールを打ち合うことでなのだけど、血のでないボクシングと言われるくらい
まさに相手と、そして自分と向き合うスポーツだ


人生とは、どんなものなのか、それはひとりひとり、人間であれば
自分で答えをみつけるもの。ただ、わが社にはいってきたのなら
より高いところで、そのことを見つめる、そんなチャンスを受け取り
なにかを感じて、仲間同士、絆を確かめ合って、力強く生きる
そんなことをお手伝いしたいとずっと、思ってる