若いということ

実際、私は若いとかいったら、会社にいる人の平均年齢から
いって、当然一番うえのほうなんだから、ちょっとちがうでしょ
って、会社ではなるのだけど
相対的な問題だという感じもします


私はここのところ、20代の人が、自分の仕事をしていく
スタイルといってもいいかもしれないし、軸を作る
という言い方もできるかもしれないですが、そうしたことを
する、後押しをしてきたつもり


そして、最近思うのは、もっと個別にいっぱいしゃべって
おきたいと思うことですね
人間って、実際可能性はいっぱい秘めていて
その可能性を、その人本人がどうひきだすか
という感じがするんです


可能性をひきだすということは、あくまでも、本人の意識の
問題ということが、相当な部分あると思うのです
ゆえに、ご本人が、たとえば、技術者として、もっと
こうなろうとか、人間として、高いところを知りたいし
そういう高い人の行動を学びたいであるとか
そういうふうに、まず思ってくれないと、なにも
はじまらないと思うのです


ゆえに、もっとその人がなにがしたいのか、聞いたりする
時間をとろうと思います
さらに、聞いていく自分というのを、ひとつの仕事として
位置づけたいと思います


10代であり、20代のころ、私は自分を受け止めてくれる人に
出会い、その縁でここまで来たと思っています
自分をだして、受け止めてもらって、そういうなか、相手も
自分をだして、こちらも受け止めてということが
すごいことです、あったんだし、そうして、そういうことが
素晴らしいことと、信じられて、ここまで来ました


生きるって、どういうことたいと思って
そんなことを、ずっと言っていました


10代のある日、そのときのスポーツヒーローである
長嶋選手、王選手は、「努力することにおいて、天才」なんだ
という話を、聞きました


いま、スポーツでトッププロと呼ばれる人たちは
まさに、努力することにおいて、非凡な才能をもってる
といっていいでしょう
日々、自分を高めるために、自分と向き合い、ステップアップしていく
それは、才能があるからできるのではなく、そういうステップアップという
苦しい選択を、自分に課して、自分と常に戦っているのです
その姿の、すがすがしさ
そのことが、トップの選手の表情のすがすがしさですよ


スポーツで、同じ活躍はできなくても
その努力のしかた、生き方において、恥じることのない
自分にもできるなにかをしたいと、心に誓ったのですね


なにかしら、自分がめざすことにおいて、どれだけ
自分より秀でている人がいるとか、そんなことは関係ない
自分が自分を高めていくなにかに向かって、進むんだと
まず、決めることからではないでしょうか?


若い人が、迷いながらも、自分の生きるということは
どういうことか、考える、そんなお手伝いをしたい
いいえ、30代、40代は、若くない?かもしれないですけど
そういう気持ちがある人を、しっかり支えたい


生きるって、どういうこと
そんなことに、1年とか2年とか、考えたから答えがでた
なんてことがあったら、そりゃ、もっと考えてよって
いいますよ