めんどうくさいと戦う

人と人。なにかをいっしょにやろうというとき
責任もたされるのは、いやだなとか、言い分がちがうのを
調整するのって、めんどうくさいとか、思いますね
実際、私もそうなんですね
特に、どんな人がいるのか、わからないときって、
自ら、こうしましょう、責任は私とりますよ、って態度って
なかなか、とりにくい


けれど、そこのところ、めんどうくさいと戦って
自ら、やりましょうというってことは、いいことです
そういう心意気をもつってことが、生きていて、いいなと
思うことにつながると思っています


だから、遊びで、誘うほうの、役割をやるって
大事な、生き方のリハーサルというか、いいことだと
思うのです。そういう意味で、遊びって大事です


誘うほうの役割をやって、その日一日、いい感じで
過ごすということが、できるような、そんなやり方をする
おおげさに聞こえるかもしれないですが、遊びの企画をたてて
実行する。このことを、まわりの人を巻き込んで、やってみるのですね
こういうことが、本当に大事な場面で、自ら考え行動できるのか
ということと、くっついてくると思います


めんどうくさいとやっていては、いつまでたっても、相手を巻き込んで
なにか、自分からやるということは、できないままになります


そういいながら、自分も、その日一日とかは、いいとして
何年もかけて、準備して、やるということに、まだまだ
いろんな意味で、力が足りないのでは?と、自分自身、反省する気持ちに
なります


おそらく、なにか生きる軸を決めて、ずっとそのことに
努力できる人って、もっともっと、めんどうくさいと戦って
じっと自分のなかに、力をためて、自分の最高のパフォーマンスを
だせる、そういう生き方をしてるんじゃないか、と感じます
そういう生き方に、あこがれます


まずは一年のロードマップを、確かなものに
してみたいですね
そのうえで、何年かかけての、ロードマップをしっかり
書いてみたい
めんどうくさいと戦って。