おだやかに話すということ

経営してる、会社で、人を育てるということが、とても大事、と社員に
話します。それは事実として、社員が育たなければ、なにも
始まらない、と感じているからです。


そして、育てるというときに、「受け止める」「傾聴する」
といったことがとても、大事だと、気づくことが多いのです


そうはいいながら、受け止める、相手の話を一心に、全身で聞く
ということが、いかに難しいか?と感じます


記憶とは、という灰谷健次郎の言葉を、思い出します
肉体としては、滅んでしまう人の言葉、生きた生き方といったことを
ある人の記憶を通じて、生かしておく、この世の中に残す
ために、記憶というのはあるのだということ
そのために、人の話を聞けるということは、本当にすごいこと
すごい、知恵といっていいと、感じるのです


このように、「聞く」ということはほんとに、大事なことなのですが
目の前の人が、自分がこだわってることについて、こちらの
神経を逆なでするように、ちがう、まるっきり見解のちがうことを
しゃべっていたら、おだやかに、聴けるのでしょうか?


最近、そういうことがあって、ついつい「傾聴」どころか
いちいち、相手の言うことに、反論をし、見てる人が感じるのは
この人は、意見に対して、文句言ってるととらえてもしかたがない
対応をしてしまったことがありました


ひとしきり、そうしたことを、話しながら、まあ、自己嫌悪しながら
なぜ、そうなってしまったのか、反省したのです


例をあげれば、私は人材育成をほんとに、大事と思っていますが
その私がやってる人材育成が、「意味がない」だとか
「それでは、経営者として、失格である」ということを
あからさまに、言われたとしたら?


ある人が、経験に裏打ちされた、仕事をしかたをしてると
しましょう。システム開発でテストということにしておきましょうか
その人にしたら、やってるそのテストの手法には、実績がある
このシステムのこの工程で、こういう観点を用いてということで
考えた、根拠もあり、確固たる理論を持ってるとする
そのことを、まるっきりちがう、理論でつぶす(と見える)
話をこれからやろうというときに、されたら、どうでしょう


おだやかに、やんわりと返して、意に反さない
そんなふうなこと、できるかしら


でも、こういうふうに、文章に起こして、はたしてどうかと
反省すると、本当の本当に、自分のやってることに
自信があるのなら、冷静に、聴いていられるし
別に、言い返すなんてことは、しないのでは?とも
思えてくるのです


実際には、どうなのか、いろんな話の入り方
また、そのときの状況で、見過ごせば、ものごとについて
自分も黙認したようにならないかなど、ケースはいろいろでしょうから
一概には言えないのですがね


可能な限り、おだやかに話して、傾聴すべきところは
必ずそうする、自分を、作っていきたいですね