しみじみとした交流

去年の秋に、先代社長を見舞った
先代社長夫妻は、実際のところ、私にとっては
親にも似た存在なのだけど、奥さんに連絡をとった
ちょうどその日は、お仲間での集まりが都内にあって
夕方までかかるという。それではということで
終わるころ、お迎えにいって、そのまま車でご自宅まで
送りがてら、お見舞いをした


彼女は、ずっと茶道をしている
会社の業務から退かれて、つまり私と日常いっしょにいることが
少なくなって、思い出すと、そのお茶の世界にて身についた
いろいろな、心配りなどが、とてもありがたかったなぁとしみじみ
感じる


たとえば、オフィスで事務をしていて、ひといきいれたいときに
だしてくれる、お茶の一杯。タイミングをはずさない
それは、自分の仕事もしながら、こちらのことも、適度に
気にしてくれていたということだ。そういうさりげなさは
ほんとに、うれしい。こちらが集中してるときには邪魔しないように
ほっと、したときにお茶をいれ、ひといきいれたいときを
ちゃんと知ってるという、心地よさ


お茶をしてる人は、そうした相手との間の空間、気持ちの交流を
ほんとに大切にしてるのかなと思う
私が知ってる、立派な茶室があるところというと
三溪園五島美術館根津美術館とあるけれど、それぞれの主は
茶の道をたしなんでいて、その理由は、きっと大切な人と
大切な時間を共有したいという思いがあって、その実現のための
場所、方法としてお茶を選んだのではないかと思う


人間の一番のぜいたくは、人間との関係、ご存じサンテグジュペリ
言葉だが、ますます人と交流することって奥が深く、どんどん
はいっていきたくて、知りたいことがあって、自分を鍛え、もっと
ブラッシュアップすることで広がる、世界があり、深められるものが
でてくると予感する


少し、お茶の世界というか茶の道で、存在するものを、知りたくなってる
このごろです