ブランクーシ

ブランクーシという彫刻家の作品を
アーティゾン美術館にて、見てきました


実際のところ、ブランクーシの作品には何度かふれていました
今回、「回顧展」といっていい、ブランクーシの作品を
集めての展示、国内はもとより世界中でも、なかなかない、展示
とのことでした


回顧展というと、時系列で作品が見られます
それによって、その作家がどういう、考え、どういう経緯で
代表作なりを、作るに至ったのかということが
垣間見れるということがあります、これはとても
見たい、ところです


ブランクーシは、「抽象彫刻」だと、思いこんでいたのです
具象なのか抽象なのか、どっちだと分けるとしたら
抽象といっていいかもしれないですが、今回の展示をみていると
具象につながってる抽象といったらいいのか、デフォルメされてる
形を感じますが、具象があって、とのつながりが見えてきます


こうした拙い文章で書くと、なにを言いたいかが、ぼやけそうで
いやですね。実際、抽象の絵、抽象の彫刻といったことも
実際、具象からつながってるというのは、あるのでしょう
それが見えるかどうかなのかもしれません


アーティストの展覧会を見に行って、そのアーティストの生き方とかが
すごく、共感できて、作品もすごいなと思っていくというのが、どうも
自分のくせというか、アーティストにふれたときの、やってしまいがちなことです
生き方は、さておき、その作品自体を鑑賞すればいいじゃないかと
なるのは、自然のはずなのですが、セザンヌが?ゴッホが?思っていたこと
モネが、何度も水面を描きながら、どういう生き方だったのかということが
とても気になります


ブランクーシは、勝手ながら、きわめて、自分に近い感覚があったのでは
ないかなどと、想像します
それは自分自身が撮影、残した映像から、モデルもやったと思われる
親しい女性の所作から、その作家との、親しさ、そしてそこから想像するに
同じアーティスト仲間だったり、友人といった人と、交流し
そのやりとりのなかで、自分をみつめ、作品にいれこんでいったのでは
などという、想像ができてしまう、そういう、やわらかさ、自然さを
感じるのです


自分の表現したいもの、空へ、伸びる、空間を広げていくような
オブジェ?(オブジェなのか、自然のなかにあるもののイメージなのか?)


モネが水面、睡蓮を描いて、描いて、表現しようとした
なにかが、ブランクーシは空に向かって広がるものだったのだと
想像しました


アートをみて、その表現の心になにか、近いものがあると
感じられるのは、うれしいことです
ブランクーシは、そのように感じさせてくれました