人間の身体

日曜美術館の解説を聞きます
なぜ、西洋でヌードが、アートとして扱われるのか
これは、ずいぶんまえ、確か5年ほど前でしょう
同じ日曜美術館に登場した、美術史家が、西洋では
ずっと、ヌードはアートだと、言い続けていた
それで、アートになったという、言い方をしていました


今週みた、日曜美術館では、「理想化した人間の肉体」を
アートとして、扱ったという解説がでてきました
そして、一定の時期まで、ヌードを描くのは、女神として
で、ということも、知識としては持っています


ギリシャの彫刻、そしてそのギリシャをひとつの、頂点として
そこから、ひもとくことからはじまったともみえる、ルネッサンス
いまの、西洋のアートの大事な、ポイントになってるといって
いいのは、まさに、この人間の身体の理想化ということが
あると、みていいのかと、はたと思いいたりました


彫刻をみるのが、好きになって、だいぶたちました
ロダンブールデル、マイヨールといった、19世紀から
20世紀のはじめにかけて、活躍した、具象の彫刻の
巨人といっていい、存在があります
そのロダンに、触発されて、荻原碌山がいて
高田博厚であり、佐藤忠良という存在がいます


ロダンのよさって、これは他のいまあげた具象の
彫刻家にも共通するところもあるかもしれないですが
大胆で繊細なところといっていいのでは、ないでしょうか


ロダンのよさを、日本の対象につなげていったのが
荻原碌山だったり、佐藤忠良といっていいかも
しれません


いま、ロダンのよさを、こうしてなにか文章として
書きたいと思って、作品を思い浮かべると、上記にかいた
人間の身体の理想化ということは、どうも、つながってるように
思います


ロダンの求めたものを、佐藤忠良は、日本の対象に
つなげた、と、書きましたが、佐藤の表現したかったことは
ロダンのなにがし、というより、やっぱり日本、であり
日本人のそのままの姿、またそのままだから、でる、美しさと
いっていいかもしれません
「人間の身体の、理想化」ということからは離れているとも
思います


人間の身体の理想像、それを、アートに表現するというのが
ギリシャからずっと続く、美を求める人の、大きなテーマ
だとしたら、それは、きっとそう思う人の生き方にも、重なる
ことになる。
そう感じた、今日でした