静岡にある、芹沢硑介美術館に行った
ここしばらく、柳宗悦、河井寛次郎、浜田庄司といった人の
言葉などが気になっていて、芹沢硑介の名前も、繰り返しみていた
しかしながら、染色の作家ということで、どちらかというと
地味な印象をもっていた
作品を見る
言葉にしてしまうと、陳腐なのだが
いいのだ
美しい
あでやかといっていいと思う
沖縄の市場をデザインしたもの、山をデザインしたもの
文字を、そして、紙漉きの村をデザインし
窯場をデザインしている
それが、いきいきとして、迫力があるのだ
妙好人源佐というかたの、「ようこそ ようこそ」という
文字ばかり、思い浮かべていた自分は、全然印象がかわった
デザインが、色が生きてるということは
こういうことなんだと、感じた
ひとつ、蓑、けらを実物大で書いてる、屏風に目が留まる
実際、前の晩に、河井寛次郎の「炉辺歓語」のp.170にでてくる
米沢の郊外で、柳宗悦と見事な蓑を来た人と出会ったという
解説のところを読んだ、直後だった。ああ、これを見るために
今日ここにきたのだなと、感じた
河井は言う。東北のくらしにしっかりくっついた、工芸品、民芸のものは
素晴らしいものがあると。蓑はほんとうにすごいと
書いてる。ここのくだり、引用しようと思ったら
前後がなしに、引用するのも、この文章はどうかと思うので
やめておく
この蓑の屏風は、パチンと心を打った
数年前、このブログをはじめたころ、円空仏がとても気になっていて
文章のなかで、読んだりしたからなのだが、想像だけしてるときが
しばらくあった。そして、箱根の成沢美術館にて、奥村土牛の
円空仏のスケッチに出会ったのだ
そのとき、心打たれたことを、今回の蓑の屏風をみたとき
思い出した
もしかしたら、実際の蓑を見る機会があっても、今回のように
心打たれることまでならないのかもしれない。画家が
ある風景の美しさをガイドしてくれるように、芹沢は私に
蓑のうつくしさをガイドしてくれたということに
なりそうな予感がする
上に書いた、円空仏のスケッチは、わすれられないものとして
心に残ってる。そして上野にて、円空仏の実際をみたときに
その感動を再びとか、思ったのだが、なぜか実際の円空仏は
心にはいってきてくれなかったのだ
それは、いまでは土牛さんの、心が私の心にひびかせてくれた
ものだからなのだと、自分では納得してる
芹沢硑介の世界。とても素晴らしい
きっと忘れられないものになりそうだ