八重の桜

昨日の八重の桜は、新政府軍による、会津の城攻め
ついに、八重も鉄砲をうつ


日本の歴史を、ずいぶんざっくりとながめてみると
おそらく平安時代の末期から、戦国時代まで内乱の状態
それを、織田信長豊臣秀吉徳川家康の三段階が
あって、江戸時代というかなり、安全な状態へと
もっていったというように見える


この江戸時代というのが、貴重のように思える
もちろん身分制度があったりはしたけど
外国でみられるような、過酷なきびしいものではない
ようだ。ある本によれば、身分の相互間の結婚なんて
あったわけだし・・・
いまにつながる、歌舞伎なり、絵画、そして茶の湯
庶民が楽しむということもあったようだ


どんな政権も、その前の政権を否定するということが
ないと、なりたたない。明治にできた政府は
鎖国して、外国から遅れた政策をとったということで
幕府の政治を批判して、また身分制度があったこと
も批判の対象となっているが、こうしたことは
もう少し、バランスをとって、考え直すことが
あっていいのかなと思う


会津の立場では、正義の気持ちにしたがってやった行動が
逆族の汚名をきせられ、恭順してもなおゆるされず
会津を、つぶしにくる
ゆるさねぇと


白虎隊は死を選んだ
藩士の妻子も死を選んだ
こうした事実は、おそらく消えない
人が死ぬということは、一番インパクトがあることだ
憎しみをあらたに生んでしまう


司馬遼太郎の小説は、坂本龍馬という英雄が活躍し
西郷であり、勝が応じて、新しい世の中の扉を
ひらいたと、描いている
まったく、明治維新は美談の連続だ


あたりまえなのだが、政権がかわるという大きな事業に
まったく矛盾、無理がないというのは
ありえないのかもしれない
昨日、ドラマで亡くなった藩士の妻子の供養は毎年行われてるという


実は近代史を知らないということは
かなり、言われてきたことだと思う
そして、教科書についても、疑問があるのは
やっぱり政権の立場がある以上、人が書く以上
立場がものをいうというのは、ふつうのことかもしれない


そして、思うのは、ドラマといえども、
立場がかわると、こうも見方がかわり
それが、戦争ということになると、まったくもって
相容れない溝ができるのだろう、ということ
八重は、これからどんなふうな、生き方をするのか
見守っていきたい


冒頭に書いたように、日本は16世紀の終わりから、内乱を収める動きが
でて、そのおかげで、現在に続く、技術、芸術のもとといっていい
文化をはぐくみ、現在にいたる
残念ながら、世界中の国々をみると、いまだ「内乱」状態から
ぬけだせない、国々のなんて多いことか
前に、日本は、明治維新、そして日露戦争、戦後の経済復興という
奇跡をやってきたという描き方を、このブログに
しているが、江戸時代があったということが、奇跡といっていいのかも
しれない