会議がうまくできるようになりたい

責任者が、議長をやってはいけない
なぜなら、参加した人が、話に口をはさんで
いくのが、少なくなるから


「決める」ことができる責任者が、議長をやって
いわば、上司の独演会といった趣の会議が多いと
聞きます
実際のところ、私もそうした雰囲気で会議をすすめてしまうことが
ありそうです


これは、だめですね


なぜなら、会議は、それぞれの考え、思いをだしてもらって
自分の考えをだしたのだから、その部分については、まさに
関心とコミットメントを持って、行動してもらう
ということが大事だからです


上司が言ってるからやる
それも、あるのでしょうが、やはり自分の考えを
加えて、できればその考えが中心で、物事を
すすめるってことが、一番いいように思います


先週、他社の人と話していて、自分のチームにいる人に
どんどん、自分とはちがう意見も言ってほしい、食いついて
ほしいという話がでました


ときどき、思い出すのが、そうしたとき、意見をだしてほしい
相手と、やっぱり、座標軸は同じにしておきたいということ
勝手かもしれないですが、座標軸がちがってしまっていると
話にならないでしょ、ということがあると感じます


むむむ、となるわけですね
そんなこというなら、自分の考えを推し進めて、勝手に
やればいいでしょ、相手に意見を求めて、ずれていたら
座標軸がちがう、やらなければよかったなんて
勝手じゃん、と言われそうですねぇ


勝手かもしれないですが、やはりそれは、はずせないのかなと
思ったりするのです
極端なことを、いえば、社員の成長ということを、念頭において
こちらがしゃべってるとき、社員の成長は、後回しだ、ということが
正面からまかりとおっていたりしたら、どうしましょうか?


難しい判断ですが、システムにおける、テストをどこまでやるか
といってことは、おおいに議論するのがいいのだと思うのです
システムの仕事を、してる人であれば、テストについて
どこまでも正確性をもとめるというのは、通常のシステム開発だと
現実的ではないですね。だから、基準を設けて、一定のレベルということを
決めることが多いわけです。そうしたときの、レベルはどこまで
やるかなんてことは、多いにやったらいい


人間の成長ということについて、優先順位はどこか
といったことも、やるべきでしょうね。にわとりが先か卵が先かという
話になりがちだけど、たとえば、興味をもつことから、ある範囲の知識を
つけ、深堀していくことが、可能になるという局面と
逆に、知識をつけ、その環境に身を置くから、興味をもつという局面と
実際、現実には、両方が正解というか、ありうるのでしょうけど
どちらをめざすのか、であるとか・・・


座標軸といってるのは、いずれにせよ、成長する、成長を後押しするのは
どうしていく、というベクトルについて、話しをしていこうというところで
一致してるという、そんな感じ。
また、対象の人について、成長するということを、信じ続けようというスタンスも
あるということも、大事でしょうね


会議をしていて、責任者じゃない人が、議事をすすめて
いろんな意見がでて、がちゃがちゃやる
話し合いのやりかたも、どんどん言い合う
活発だと思います
そうしたなか、やっぱり一定の方向で話をする
また、企業である以上、あるベクトルをもって、成果をだす
そうであるなら、やっぱり座標軸といったことは、気になるのでは
ないでしょうかね


純粋に話し合いについて、まずどうするのがベストか
ここを、しっかりああ、ということも、ときには・・・?
でしょうか・・・