認知バイアスと向き合う

認知バイアスということが気になります
人間の頭のサイズは、スマホのメモリーの数分の一(1Gとか)
また、自分の記憶を書き換えて、自分に都合のいいように記憶する
という能力(というか、だめなところともとれる)がある


これはジャングルをぬけるために、1時間とかで、もてる情報をもって
対処すること、(だいたいにおいてただしい情報ならという前提)
それに対して、1年間かけて、同じ対処するために、学んでから
やるということ、これ動物として生き残るのには前者のほうが
確率はあがるのだ、とのこと。人間も動物だということからすれば
こうしたDNAがつながってるとすると、都合よくいままでのインプットを
使って行動するということは、悪いことともいえない


長期記憶と短期記憶ということも、気になる話ですね
人間には、長期記憶としてとっておけるフォルダと、短期記憶の
フォルダがあって、短期記憶のほうは、次々忘れていくとのこと


ここの長期記憶への出し入れといったことが、うまくできる
とすれば、とても使い勝手のいい、脳みそだということが言えると
思うのですが、誰もがそんなふうに使い勝手がいい、ことを常には
できないことはよく知ってるのでしょう


ひとつ、思うことは、長期記憶にいれる、まあ「確実」といっていい方法は
時間をかけてやる、ということになるのではないでしょうか?
暗黙知になるようにやるという言い方もできるし「身体で覚える」
という言い方もできるのかもしれません


「言葉で説明する」ということが大事、と、相当数の人が思ってるとも
感じます
ところが、言葉で何度説明しても伝わらないということが
現実に起こりますね


1か月ほどまえの研修で、「説明して伝わるのか」ということに対して
ごく近い存在の社員の人が、「似てる背景をもてるような経験」がないと
無理なのではないか?という意見を言いました
そのとき、私が言ったこと
いいえ、ふたつの要素がそろえば、(見方によってはひとつ)似てる経験が
なくても、説明で伝わるのだと言いました


ふたつとは
その1:その説明してくれる相手への尊敬
その2:受け取る自分がぜひ受け取りたいと思ってる事


ここで見方によってはひとつ、というのは「尊敬」ということが
あれば、基本は、その説明してくれる人の内容は、ぜひ受け取りたいと
思うだろうとのことで、書いてます


「尊敬」という行動、気持ちをもつということが
いかに大事か、といっていいエビデンスにもなる話かなと思います
またもうひとつ別の言い方をするとすれば、尊敬という触媒が
いかに、人と人をつなぐか、ということも言えそうです


認知バイアスを超えていくのには?
まだまだ、考えたいところです