外にばかり向いていた視線が
自分の心のなかに向かい、もうひとりの
自分が誕生して、自分をみつめるということができるように
なると、やっと人間は大人への階段を登り始める
なにかに気づかされるということ
そのことはすごく素敵なことで、自分の心との対話を
続けている人は、忘れられない一言というのを自分のなかで
かみしめて、磨いているものだと思う
人を思うということ、それはなにもデートしたりという
いっしょにいるということがすべてということなんてない
離れていても、高めあうことができるとか
HOWを考えて行動する人はそこそこいる
WHYを考えて行動できる人は少ない
目休め、心休め
いまの若者に必要なのは、「感じる心」ではないか
相手がいま、どんな状態か感じる心
伸びてきている人がいる、そのことを感じて見守る
困っている人がいる、感じているからその話を深く聞ける
アートにふれるということ
荻原碌山が、「女」という作品を作って逝った
相馬黒光への、思いを作品にしたんだと
感じる
その思いをここまで、思い続けた高い強いものを
作品に昇華させる、そのエネルギーがほとばしってるように
作品から感じるのだ
そのことが、私の心をゆさぶり生きてる意味ということを
問い続ける
生きるって、生きるってこういうことなのだろうか
自分との対話が、あるから
生きていて面白いともいえますね