自分が生きた道

好きなマンガの、「エースをねらえ」
宗方コーチは、岡ひろみにあって、その才能を
見抜き、そのコーチをすることに自分の生きた意味を
見出したというセリフがある


生きるのが苦しくて、いろんなことがままならず
もがいていた、10代。そんななか、テニスにひかれ
純粋にテニスの素晴らしさを感じだしたとき
身体をこわし、プレイヤーとしてやっていけなくなる
そうして、後輩へのコーチということに、自分の人生を
かけることを試みる


岡ひろみを育てるということに、はまっていったとき
やっと、自分のいままで生きたことは、このことを
するための環境づくり、そのためのレッスンを
していたのだと、思えるようになった
人の成長を助けるということに、大きな意味と喜びを
もって生きられるようになった


いま、私も自分より若い人の生きることをコーチすることに
意味を感じ始めてる
自分の声に反応して、どうやって勉強しよう、どうやって
仕事をしていこう。どう「生きよう」
そのたくさんの、迷いや悩み。真剣であれば真剣であるほど
奥深い人生の大きさに、ときに驚き、喜びをおぼえ、とまどい
生きる意味を何度も問い直し、答えをみつけたと思ったら
もっと大きな、山と見える課題がたちふさがる


先代は息子がほしかったのだ
それは、自分の生きた道を語り、その道をいっしょに歩んでいくような
ことをしたかった
私は、おやじと仕事がしたかった。そうした疑似親子のような
伝え、受け取る関係が、ほんとうに素晴らしくできたとき
生きる意味が少し呑み込めた気がした


だれよりも、その生き方のよさを感じて
自分の生きること、仕事を通じて、実現していく面白さが
見えた気がした
仕事とは伝え、受け取ることといってもいいのではないか
人はなにかを感じたら、そのことを生きることの道しるべとして
心にきざんで、生きていく
若い、混沌とした状態をなんとかぬけだしたい
自分の生きる意味を、見出したい
その根本といっていい、大きな課題から目をそらさずに
生きること。
なんていさぎよい、そして苦しいけど、輝かしい人生だろうか


年数がたって、やっとわかることって
はがゆい気もするのですが
いいえ、大事なことなんだろうと思う
おそらく、10代はそのときの20代はそのときの
大切な感じることがあって・・・
生きる、生ききることがとっても大事なんだ