関心を持つこと、生きること

関心をもつということ
このこと、感性を高めるということにつながっていて
生きる、ということの、大事な要素と思います


なぜ、生きるのか?
根源的な答えは、生きていて、ずっと探し続けるものと
いっていいと思います。高校生のとき、その答えはと
考えていて、確か、担任の先生との、個人面談のとき
その先生がいいました
「生きてるから、生きる」


このことば、おそらく生涯忘れない言葉になりました
そして、ああ、なるほどと思うこと、それから、そうは
いっても、それでは答なのかしら?と思うことと、併存しています


根源的な問いに対する、完璧な答えなんていうのは
あるとしたら、自分で自分に、こうだよと、いう
それしか、ないように思います


裏返しの、問い、「なぜ死ぬのか」
これにも、答えはないといってもいい。人間が生きていて
必ず死ぬなら、その数だけ、答えがあるといってもいいでしょう


親しい友人と過ごす時間などに、ああ、生きててよかった
今まで元気でよかった、と、思う時間があります
どうもそれは、何人か、大事な人が彼岸に行ったり
精神的、身体的な苦しみを背負ったりしながら、生きるのを
みて、自分はそんなに、苦しまず、つまり元気でここにいて
前から自分を知っていて、気にしてくれてる人と、こうして
時間を過ごしてる。これはいいことだし、素晴らしく
貴重なんだと、思えるから、ということがありそうです


関心をもつこと。誰かが生きて、その生きた証といっていい
仕事をしたりしている。そういうことに関心をもつこと


先日、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」のだいぶ
古い、期日のものを、みていました
主人公は、文化財の修復にたずさわるひと。
その技のすごさ。こだわりの、仕事について、ドキュメントします


日本画の画家には、めずらしくないのですが、自分で胡粉、にかわ
岩絵の具の色自体について、こだわって、たとえば、火を加えるとか
まぜるとか、しながら探求します


私が、ああ、すごいなと思ったのは、狩野永徳の息子の光信が
描いたと言われる、屏風に向かい、その線を自ら描くという
場面です


天才と言われて、誰もがその才能、つまり絵のすごさというのを
認めてる、父、永徳。息子である自分は、どうしたって比べられる
その天才、永徳にはかなわないにしても、狩野派を背負って、
人から、認められる絵を描かなくてはならない。そういうプレッシャーの
人、光信になりきるのだと、言います


その人になる。そうでないと、修復のその時代、その描いた人の
思いも、ひきついで、仕事をするのだということ


こうなると、オリジナルの絵を描くというより、すごい、高いレベルの
ことをしてるようにも、見えてきて、すごかったです


関心をもつということ
人の生きるということに、関心をもつということ
感性を高めるということ


生きるって、どういうことなのか?
生きること、なにかにこだわって、生きるって、どういうことを
言うのか?


あなたは、生きていて、生きててよかったという瞬間に
何度、出会いましたか?