夏の空

ここのところ、東京、神奈川の天気は、晴れ、とても
高い気温で、夏、そのものという感じがある
ただ、空を見上げると、どうもこれは秋というか
初秋にみられる雲?とか、空の色自体が
夏というより、秋に近いような気がしてくる


空の色というのは、おそらく水蒸気の含み具合という
ことがあるのだろうと思う。これだけ気温が高く
湿度も高いのだから、水蒸気は多いのだろうと
思うのだけど、なぜか、あまりそんな感じの
しない、空の色だ


8月にはいり、みんみんゼミも、ツクツクホーシも鳴きだして
まさに、夏本番のはずである
セミというのも、夏の景色には必ずあってほしい存在だろう
セミが鳴いてるというのは、暑さの代名詞という
感覚もある


色というのを、意識したのは、大学生のころだろうか
いまから思えば、たくさん時間があった。海をみたければ
車にのって、海にいって、海をながめていることができた
ゼミの先生が、自分は数学の専攻だが、いつかエッセイのような
ものを書いてみたいとおっしゃっていて、その話に自分も少し
あこがれたのを覚えてる
色の話を書きたいとおっしゃっていた
20代なら、青が好き。おそらく30代、40代だと
緑色、50代からは茶色にひかれるようだよと
その先生はおっしゃっていた


三浦半島の一番先に城ケ島という、小さな島があるが
そこの、海辺にて、海と空の境界をずっとながめていると
特に小雨なんてふってると、青とも、緑とも灰色とも
つかない、なんともいい色で、ずっとながめて
いられるのだよという話をされていた


海辺で育ったので、やっぱり山というより、海に親近感がある
自転車にのるようになった、小学生のころだろう。どうかすると
歩いてもいけそうな、自宅から近いところでも、高台をあがっていくと
ほんのちょっと、海がみえるところがでてきたりして、そんな
場所をよくさがしてあるいていた


海をみていると、気持ちが落ち着くというのは、そんなことからも
きているのかもしれない
山は、やっぱり大学生以降に思った、いろんなところにいってから
山の良さを感じるようになったといっていいと思う


東山魁夷が、唐招提寺の襖絵を書くときに
苦難を超えて来日した、鑑真和尚にささげるものとして
日本の海と山の美しさを、表現したものを、描こうときめて
何年もかけてスケッチ旅行をすることからはじめて、描きあげた
絵を思い出す
日本は、海と山の美しさをもつのだと


東山魁夷のその絵の美しさを思うとき、青と緑のグラデーションといっても
いいと思う。こんなにも、色が人の心を、いやすのだということを
言葉でなく、感じさせてくれる絵ってほかにないのでは
ないだろうか


刻一刻と変化する自然の美しさをとらえるということは
それだけで、生きてるということを実感する、高い心を、刺激する
行為だけど、できれば、季節の変化には、少し敏感でいたいと
思う
この文章を書きだした数十分前と比べれば、ずいぶんおだやかな色に
変化したように見える空。できればそうしたことを
一日一度でいいから、感じながら生きる、そんなことを
したいと思う、今日の空の色です