東山魁夷と信州

東山魁夷は、東京美術学校在学中に、木曽の山を
兄と友人と、キャンプ旅行しました
その手記が、長野県立美術館、東山魁夷館でみることが
できました


まだまだ、多感な青年の、山に登れたという、感動
兄や友人を、リードして、農家に泊めてもらう交渉をしたり
水や、食べ物をどうしたか、リアルな気持ちでつづられ


山に登れた、その瞬間の感動もあります
そして、この旅行は自分がいなければ、なりたたなかった
ということを、少し誇らしげに父母に語ってる、青年
東山魁夷の姿が、浮かび上がってくるのです


その日記を読み、またその少し前に、川端康成との
往復書簡を読み、東山魁夷の人間としての、姿が
私の頭に、刻まれました


画家として、生きるということ
美を追い求めること
その気持ちから、浦上玉堂といった、絵をもっていた
川端康成との、交流もはじまります
川端は、9歳したの画家である、東山魁夷に会うまえから
相当な、好意をもっていたのでしょう
はじめて、あったそのときに、大事にしてる、所蔵の絵を
みせて(それが見たいというのを、察していて)
もてなした、ということが、わかります


川端は、かつて、画家になりたいと思った


東山は、かつて、作家になりたいと思った


こういう経歴も、二人え近づけた、ことのひとつのようです


川端が、京都の美しさを、東山が絵に描くことで
とどめておきたい、そう誘って、東山魁夷は、京洛四季
という連作を描くということが、あとで起こります


その東山魁夷が、描いた、円山公園の、枝垂桜
鴨川をへだてて、建仁寺、そのむこうのっ東山を拝啓に
家々を描いた、年暮る。
その美しさを、確かめたくて、京都を歩きました


平成になって、歩く光都は、そこらじゅうがビルになり
東山魁夷が描いたころの、風景は失われたと思っていたら
実は、魁夷が描いたときも、すでに、ビルはずいぶん
できはじめていて、東山魁夷の心の目が、描いた作品
なんだと、あとで気づくのです


美とはなにか
京都の美しさはどこにあるか


東山魁夷は、目休めといって、美しいところだけ
すくいとる、そうした、見方ができたといいます


それは、生き方もそうなんだと、感心させられる
すごいこと、と、思うのです