言葉に踊らされない

なにか、強い言葉といったらいいか
ひとつの言葉に、とらわれて、あ、それは、○○だよ
といったりすることは、会話、やりとりを、ぶったぎる
ぱっと目にみると、乱暴なやり方と見えます


パワハラ、セクハラといったたぐいの言い方があります
確かに、ある場面で言う、言い方、言葉に相手を
傷つける意図になっていくのは、認めます
ただ、傷つける意図もないし、相手もそれはわかる状態
なことが、十分保証されてるといったらいいか、そういうときまで
あ、それ、パワハラとかセクハラというのが、はたして
会話のなかで、適切なのかというと、私はNOだと感じます


いい会話、いいやりとりが、人の心をおだやかにし、ときに
活性化しています。言い換えれば、いいやりとりは
生きていくのに大事な、行為といっていいと思います
そのいい会話、いいやりとりを、ひとつの見方では
こわしてしまう、言葉のなげかけって、あるように思います


人間は、必ずいいところももってるもの、そういう考え
いいえ、信念といっていいでしょうか、そういう共通の認識に
たって、会話をしたいと思うのですね
上に書いた、会話を壊す要素といったことの、例は
あるフィルターを通してしか、相手をみないということに
なると思います


ときどき、思うのですが、ユーモアに富んだ会話って
いいですよね。とてもあこがれますし、そういう会話がいいと
思います。ユーモアと近いと思われがちですが、ブラックユーモア
というのがありますね。このブラックなやつって、人を蔑んだり
傷つける要素がはいってるものですね。それをもって
いいえ、そのことを使わずにいられない人って、世の中には
いるようです
いつも、ブラックユーモアに通じるなにかを探してる人
それは、そういうフィルターを通して、ものをみてる人といっていい
と感じるのです


それと、もうひとつ。↑に人間は必ずいいところ持ってると
つながる、言葉、結構好きな言葉がこれです


男子三日あわざれば括目して見よ


男子のところ、人間はと言い換えていいと思います
変わることができるのが、人間、そう思っていますし
そう信じられる、出来事を見守っていきたいですね