同じ感覚、違う感覚

パリに旅行に行って、ルーブル美術館に行きました
この体験を、話すときに、行ったことある人に
話すのと、行ったことのない人に話すのと、ずいぶん
伝わり方が違います


いまは、いろんな映像、本があって、調べようと思えば
ルーブル美術館の収蔵品も、大きさも、日本にいて調べることが
できます。知識だけつけようとしたら、可能です


ですが、仕事であるとか、そういう特別なことがない限り
わざわざ、調べたりはしないもの、そして、おそらくは
いくら、映像だったり、本だったり、調べても感じられないものは
あります


旅行で自分が感じたことを、伝えるというのは
実際、まったく同じ体験をした、ということはないゆえ
相当難しいということがありますね
ただ、「感性」として、近いものを持っていれば
話をするくらいのレベルであれば、いくつかのことが
共通だ、いくつかのことが、違うというふうに
整理できるのかもしれません


アートについて、印象派がなぜ、こんなふうに一般の人に
まで、人気が高いのか?ぎゅっと縮めて言えば、高く売れる
というようになるのか?
実際のところ、値段といった、市場価値については、あまり
ここで話までするのは、いろんな要素がありすぎで
やめたいのですね。人気が高いのは確かです


ゴンブリッジが、「美術の物語」で指摘してるように
印象派より前の画家が、追求しなかった、色や形は
ものが固有にもってる、もの、でなくて、最終的には
目の中、心のなかで、できる像なんだということに気が付いた
このことが、荒いタッチで表現しながら、全体像をみせるという
彼らの意図を言い当てていて、それをみることが
すごいこと、素晴らしいこととしたら、今回、フランスで
みて、この解説でなるほど、と、思うまで私は、見過ごしてきた
素晴らしさなんだ、ということになります


さて、昨日、お互いルーブルであり、印象派の絵をフランスの
美術館でみたという、旧知の人との話で、それまでの絵は
写真があるから、古くなったということじゃないかとつぶやいて
ああ、そういうふうに、感じるのだなと、納得というか
いい感覚してるなと思いました
それも、私は先に、ゴンブリッジの解説からそうなのだと
いまのところ、ゴンブリッジが書いてることを、正とする
感覚が働いているので、そう思い込んでいたのですが
感覚が近い、古い友人がそうつぶやくのをみて、正しくていいんだなと
思いをあらたにしました


似てる感覚、伝わる感覚
頭でいくら考えても、だめなこと
やっぱり、頭で考えたいこと
人間は、知識が邪魔して、本質を見落とすとも言える
でしょうが、やっぱり知識、も大事かなと、ぐるぐるまわって
しまいます