伝わることは、価値です

先週行われた、わが社の宿泊研修において
ひとつ、仕事をして、そのやったこを、複数の人で
話し合って、ひとつの報告にまとめるという流れを
やりました。そして、そのなかで、報告ということから
ある意見を書くなら、ある人のいったことに
しぼって、他の人の似てることは、そこに載せるのは
やめる、というのが、必要なんですねと、話題に
なりました


似てることを、いったこと、そうなんだから
いっしょに、報告に盛る、というのは、報告という意味あい
からしたら、よくない行為といっていいのですね


言葉には、人それぞれの、定義、背景といったことが
あります。たとえば、「ふるさと」という言葉について
必ず、人は自分が生まれ育った、場所、街、人の顔、風景が
それぞれあるんですね。山で育ち、山が見える風景
その土地の食べ物、自分が育った、少年少女のそのときに
交わした、言葉、海なら、海の、街なら、街の
それぞれがあるものです


言葉をどういう、ニュアンス、をもって、その人が言ってるのか
理解しようという、少なくとも態度が必要なんです


そういうことを、まるっきり、ぬけた、状態で
話し合いをすると、なにを話したんだか、ずれた状態で
いっしょに話し合いをしてるはずなのに、お互いちがう思いを
いだき、やってるということになって、伝わってないなと
居心地の悪い、状態になってしまうように思います


逆に、伝わってるな、と、お互い確認できる
話し合いをすると、とても、気持ちがいいしそこから
新しい、なにかも、生まれてくるような、感覚があります
まずは、自分が次になにをしようか、ということが
明確にみえてくる、ということがありそうです


話が飛びますが、人間、文化を楽しむというときに
「見える」ということが、とっても大事なキーポイントだな
と、思うことがあります
「絵」を見るということ。同じ見るでも、絵を見ることを楽しむ
ということに、慣れてる、言い換えれば「目」を持ってる
人がみると、その絵の、作家が苦心して、表現しようとしていた
もの、色彩、構図、筆遣い、でこれが、みたいなことが
見える。残念ながら、そういう目がなければ、同じ見ていても
見えてない


スポーツ、テニス、ほかのスポーツでもそうでしょう
あるプレイ、その意図、なにをやろうとしてるのか
似てるレベルでやってる人、そういう知識と関心があれば
くりかえし見れば、見えるということもあるのですが
いまのストローク、こういうスピンをかけて、ライン際を
ねらって、入るということ、このワンショットのために
この選手は相当な練習を積んだんだなとか、見える


なにかを、伝えあい、伝わってるなと感じながら
話を進めて、あ、信じられるなという感覚があったら
この人と、さらにふみこんだ、取引の話をしたいなと
感じる。こういうことは、普通にあるんです


伝えることから、見えてくるもの
見えてきた、ことを、ひとつの足場に
さらに、お互いの信頼を重ねていくこと
そういう、仕事、そういう人との関わりをしたいですね