ボッティチェリを見る

上野の、ボッティチェリを見に行きました
実際、印象派の絵を結構見てる(つもり)の自分には
宗教画に属してると見える、ボッティチェリの絵は
ちょっと、遠く見えるように思う


いっしょに言った、かみさんによると、このルネッサンスのころに
はじめて、人をモデルに絵が描かれだした。これは
すごく画期的なんだという情報をくれました


印象派が、たとえば、キャンバスを外に持ち出して、描いたり
もちろん、人であり、光のとらえかた、ご存じの点描画などに
つながる新しい書き方、浮世絵に構図その他で、影響をうけたこと
さらには、セザンヌがとらえた、もののとらえからなど
それは、その当時、誰もやってないことをやって、絵画の世界を
ひろげて、その時代をきりとった、アーティストたちがいて
それより、400年以上まえの、ルネッサンスの画家がなにを
したのかを、感じるのは???


ルネッサンス、日本でいえば、室町時代応仁の乱のころでしょう
という。日本の安土桃山は、ルネッサンスといっていいなどと
だれからが、のたまっていた


日本でいえば、家という概念がかたまったり、絵画でいえば
狩野派がいて、安土桃山ということでは、長谷川等伯
思い浮かぶ
19世紀の近代とはちがう。でも熱い時代にはちがいないのでは
ないか


ボッティチェリが描いた、聖母子を、じっとみてみました
どうしても、宗教画ということで、日本の観音様のような
祈りの対象として、描かれたのか、という先入観があります
聖母子をみたあとに、美しきシモネッタの肖像をみて
はっとします


美しいです


男性は、こうした女性の美しさを、追っかけていくわけですが
なんというか、超越したものを感じる、描き方といったら
いいでしょうか。
気高く、その品の良さ、が、オーラを発してるような、美しさと
言ったらいいでしょうか


おそらくだから、聖母子の後にみても、負けないというか
ひけをとらない存在感があるのでしょうね


ボッティチェリが、活躍したのは、イタリア、フィレンツェ
メディチ家が、隆盛を極めたときだと書かれていました
フィレンツェにしても、メディチ家にしても、下地になる知識が
自分にないですが、おそらく、これだけの絵画を発注する
ということで、その富であり、権力の持ちようが想像できます


イタリアというのは、その芸術がはぐくまれてきたということで
とても、あこがれる場所でもあります
「食」からみると、日本との共通点も相当あるのでは、と感じます
そのイタリアの光り輝く、土地といっていい、フィレンツェ
行きたくなるような、そんな、あこがれを感じさせてくれる
展示でした