見るということ

私は、奥さんの趣味を、ちょっとだけ
自分も便乗したくて、美術館に行くようになりました
そこから、絵を見るということを、はじめたのです


2000年だったと思います、京都国立博物館にて、伊藤若冲
回顧展が開かれていました。いまのようにまだ若冲のことは
そんなに人気ではなかったように思います
私の奥さんは、じっくり、絵を見ていきます。どうかすると
一枚の絵に10分以上とどまって、みています
そんなには、ゆっくりじっくり見ていられない、自分が
いました
ずいぶん、座れるところをさがして、奥さんを待っていたのを
思い出します


それから、少しは、絵をじっくり見るということが
できるようになりたくて、何度か美術館にいくようになりました


だんだん、こうしようというのがでたのが、
好きな絵は、じっくり見ればいいということでした


何をいまさら?かもしれないですが
絵について、しろうとな自分は、大きな美術館で
展覧会が開かれるような人の絵、うまく鑑賞できない
というか、素晴らしいと思えないと、思えない自分の
感性が、だめなんじゃないかって、なぜか思ってしまう
そういう、思い込みがあったということです


自分にとって、いいなと思える絵に出会うということが
いいことなんだって、あるとき、思えました
人がいろんな人がいて、自分にとって、合うというか
自分となにか、ピピっと来る人とこないひとが
いるように、絵もそうなんだと思えるようになりました


そう思えば、変な思い込みから解き放たれて
絵をみるということが、楽しくなってきたのです


去年から今年、もちろんしばらくは美術館に行けてないですが
2月くらいまでの話です。美人画がとても、気になりだしました
去年の、東京都美術館、コートールド美術館展にて、みた
エドゥアール・マネフォリー・ベルジェールのバー、
これははっとして、ずっと見ていました


女性の美しさを、描いた絵というのは、もちろん世の中に
というか、いままでも、自分が見ただけでも相当数
あるわけですが、この表情を切り取った、感覚が
すごくいいなと思えたのです


言い換えれば、こんな女性がいる、バーで自分も
飲みたいなかな。


ルノアールの作品の、評価に、「その場に入っていきたい」
ということがでてきます。これも絵の楽しみ方の
ひとつといっていいと思います


見たい絵、見ていて、いい絵に出会いたいですね