河合隼雄

河合隼雄先生は、残念ながらリアルに会うということが
かなわなかったですが、その著書のなかで、私は師事できたと
感じています


河合隼雄先生が、「思い出のマーニー」を良書として
紹介していて、ずいぶん、そのなかの、キャラクターの
生きた証、生き方を左右する出会い、感動といったことに
学ばせてもらいました


人が成長するのには、自分にとって、自分と同じくらい
大切な人がいて、その相手は、いろんなめぐり合わせで
あり、ときにはやっぱり相手の意思もあるでしょうが
自分と同じ考えにはならない。したがって、別れ
そして、ときには裏切りと見えることも起こる


自分と他人、自分が大切と思う人がいるからこそ、他人との
距離をどうするのか?ということが、頭でだけでない
生き方として、決められるといっていいでしょうか


思い出のマーニーの感動は、ずっと続くと
思います


自分と他人、そういうキーワードでいえば、河合先生は
臨床心理学という世界で、日本をリードした方でした


臨床心理学を学んだわけではない、先生の著書から
入り口の話を知った、ということになるのですが
それでも、カウンセリングを意識するのとしないのでは
相手と話していての、自分はどういうスタンスで臨むか
といったことが、だいぶちがうように、思えてきます


先生の著書のなかで、カウンセラー、下手な人ほど
「じゃあ、なんでもいいから話してごらん」などと
言います、とやります


カウンセラーが、クライアントと同じ視点にたつこと
このことが、いかに難しいか。相手はこちらにむかって
この人話して大丈夫かと、値踏みするのだと書きます


確かに。


話をしていて、どうも話がうまくつながらない
そういうとき、私も含めて、やってしまいがちなのは
ああ、価値観が違うとか、自分を標準にすれば、相手が
その範疇からでるから、できないと、どこか他責に
しています


相手のことを、中心に思えば、またその人がなにかしら
弱ってる状況があって、そのことを、なんらか改善を
こちらが望んでいて、その1点を目的とすれば
話がつながらないのは、こちらの「うつわ」がない
この1点になります


相手がはいってきてだいじょうぶという、うつわに
こちらが見えないということです


そういうことに、失敗しながら気づいたとき
もう失敗したその相手とは、いい関係にするというのは
相当、無理があります
相手にしたら、うつわがない、と見切ってるということに
なりますから。


ときどき、河合隼雄先生の、言葉を思い出しながら
誰かと話しているのです