優等生にならない

自分のなかに、もう一人の自分ができて、その自分と
対話するようになる。


いつでしょうか?小学生?それとも中学生?だったでしょうか
そういうことを、思い出します。そして、もうひとりの
自分と、いい関係だということが、人生で大事だと
思うのです


完璧な人間はいませんね
だれしも、長所もあるけど、短所もある
そして、その短所を一番知ってるのは自分。
その自分と対話していて、たとえば、自分の行動を
なぜ、だと、悔いてる、悔いてしまうそういうことを
やったとき、対話する自分とは、やや険悪になって
しまいませんか?


だれしもが、完璧な自分ではいられない
対話する自分と、まずまず、いい関係でいるという
ためには、お互いを許すということが、うまくできる
そういうことではないでしょうか


よりよく生きるということを、したい。これも
とっても大事です。だけど、人間過ちもする
これも、必ずあることで、「完璧にできなかった」を
悔いているより、明日に向かって、いい感じで
次は、もうひとつ成長して、やるぞと、なる
自分がちょっとずつ、ましになるように、力強くか
よく気が付くとか、なにかするとき、自分がより
輝くようにとか、トレーニングする


そのためにも、もうひとりの自分とはいい関係で
いたい。


このところ、CMなどで、でてくるセリフに、「自分へのごほうび」
ということがあると思っています
よくやった、自分を褒めてやる。これも大事。自画自賛
自分がやったこと、できるだけ、客観的にも見る視点も
大事ですが、一定のところ、やったら、ほっと息をついて
よくやったな、と、自分をみつめる


若い人と接していて、一定のパターンででてくる、ところ。
「優等生でいたい」という感覚があるようです
いいえ、若い人に限らず、自分も含めて、できれば、なにか
達成したい。そのために、いい状態をキープして、褒められることを
増やしたい。そう思います。それはスタートは決して、悪いことでは
ないのです


そうなのですが、優等生でいたい、ということが、目的となり
失敗したくないから、もっと言えば、失敗してる自分を他人に
知られたくないから、はなから、やるべきことのレベルを下げる
やったほうがいいのに、チャレンジしたほうがいいのに
しり込みしてしまう


若いときの失敗は、自分の何かしらに、気づくことが第一だと思いますが
失敗したほうがいいこと、たくさんあるのです
優等生でいるという、小さな満足より、チャレンジして、あ、っと
気づいて、次の「ピーク」をみつける行為のほうが、どれだけ
人生のなかというスパンで考えたときに、大事で、有益なことか


こう書いていて、「まわりも」チャレンジについて、その価値と
チャレンジした、そのあとのいろいろのフォローについて
認めて、大事にするということが、必要だと思います


有名な言葉。オリンピックは参加することに意義がある
なんて、高い、澄んだ心のこもった、言葉なのかと、改めて
思います
言い換えれば、人生はチャレンジすることにすばらしさが
あるといっていいのではないでしょうか