自分をみつめる

人間、自分のなかに、もうひとりの自分ができ
そのもうひとりと、会話するようになると
大人への階段を登り始めるのだという話があります


自分にも、覚えがあります
もうひとりの自分
決して、ごまかせない、相手


そうなんです。他人なら、取り繕うことが
できます。うそをついて、自分を見せない
ということができます


でも自分にはできない
さぼってる、自分
うそをついた、自分
能力がないと(感じる)自分
他人に対して、寛容になれない、自分


全部自分には見えてしまう
そして、ときには誰よりも厳しく断罪する態度を
とります


もうひとりの自分と、対話するのが
うまくなると、もうひとつ、階段を登れるのだなと
思います


しかしながら、若ければ、自分に対しての寛容さとか
いろんな角度で物事をみるということができなくて
例えば、試験に失敗したとか、失恋したとか
親との関係がぎくしゃくしたなどと、歳をへてみれば
あんな小さな、へっこみで、そこまで気にするなよと
言えることでも、まさに言ってみれば、「人生の重大事件」
といったニュアンスで受け止めて、心がゆらぎ
気持ちをすり減らしたんだと思うのです


1年ほどまえの、テレビの番組で、サッカー、本田圭祐の
ドキュメントをしていて、本田は、若い人にむかって
「もっと自分を好きになったほうがいい」と言う場面があって
うなづいてる、自分がいました


生きるのは、自分がやること
まさに、自分事で判断しなくてはならないことは
山ほどあるんですね
そのとき、対話する相手の自分と、いかにいい感じで進めるのか
そういうことが、まさにやってることの、自分の満足度に
つながっていきますね


こういうことに気づけたらなら、まさに自分のことを
好きになり、自分のやることを、「認める」という行為を
大事にするということが、できるようになると思うのです


スポーツの選手は、できるできないがはっきりする世界に
います。タイムであり、試合の勝ち負けで、相手と自分
自分がめざした記録に届かないなど、その自分のポジションが
いやおうなく、見えるということがあります
そういうなかで、スポーツの世界でいえば、それでも
続けて、チャレンジしつづけるということが、大事です


いいえ、おそらくは、生きていれば、そして
目標があるのなら、チャレンジし続ける、ということ
あたりまえなのですが、大事です
なにも、芸術で、たったひとりしか到達できないなにかに
なれということを、ふつうは求められるということでは
ないんです
いっていの、シーンで判断でき、それも想像力を働かせたうえで
判断ができる、そんな人材になっていこうということが
まずは、最初のゲートでしょうか?


生きるということは、最終的には
ひとりでなにかを、ということが、いつもあります
でも最終場面になるまえに、手を握って、確認しあえる
仲間はいるはずです
ときには、向こうから手をだして、後押ししてくれるはずです
その、タイミニングをはずさないのが、賢い、生き方です