植物の成長、人間の成長

河合隼雄先生は、植物が育つのには、適度な土、水、太陽が
必要なんです。と教えてくれます
どこかにしまわれていた、種。どうかすると何十年とかしまわれていた
ものがあったとして、これに土、水、太陽を与えることで、芽をだし
花を咲かせて、実らせるということができますと、いいます


人間の、ある部分が育っていない、と、とらえるとき、植物を
育てるという気持ちをもたないと、だめなのではないかと、解説が
あります


この文章を、30代のときに読んで、そうだなと思った自分は
植物を育てるような気持ちで、社員のみんなに接してきたの
でしょうか?こういう反省にたって、yesかnoかということを
答えるとしたら、ある部分はyesで、ある部分はnoという
あいまいな、答えになってしまいそうです


生きていくこと。それはそんなに単純ではいかないのでしょう
先週あった、社内の会議でも、人を育てるという観点では、Aという
やりかたをするのがいいのは、認めるが、納期を守るという観点から
すれば、Bというやりかたをするという、話がでました


Aというやり方は、経験とか不足する社員に、時間をあたえて、間違いながらも
その人の成長のために、待つということがはいるということなんですね
こうしたこと、やったほうが、本人の成長にはいいのはわかるけど
いつも、それができるんですか?


こうした、どっちにする、どうしたらいいといったことは
常に起こるのでしょう。そして、言えることは、少なくとも
指示する側は、そういうことを知って、選択してるということが
大事かなと思います
つまりなにも考えず、Bの選択をするのではなく、迷い、どうしたらいいか
という過程があって、Bなのか、ときにはAを選択できるか
やるといったことですかね


作業をする、という意識でなく、ソフトウェアを作るという意識が
ほしいということも、会議ででた、ヒントでした
指示する人から、これをやって、という、指示をもらって、なんの疑いとか
なんの、「深めよう」だとか「次につなげよう」そういう意識がない、
もしくは低いまま、作業として、やらないことだと、言います


コーディングをするにしたら、どういう意味がこの仕事あるのか
テストするにしても、なぜ、この観点でテストするのか、ということに
気づいてるということがあって、そうだとしたら、前の工程では、どうなのか
自分の後の工程、また運用ということを、思ったとき、やりやすさ、ミスは
どう起こる、そして、ミスが起こったときはどんな影響がある?


ソフトウェアを作るという、認識で、私たちの仕事を思うと、その
応用といったことの、広さ、また自分が身に着けていく、そうした考える力
想像する力というのが、今の世の中でいかに求められているか?
そして、自分ができることを、伝え、教えていくといったことが
いかに、大切で、貴重な能力なのかということに、気づいて行けるか


伝える、ということでは、傾聴ということが、頭に浮かびます
人間は根源的に、なにかを他人に伝えたいということがあります
「根源的」と書きました。だけど、伝えていない場合が多くあるとも
言えます。その制限というか、伝えない選択をした、背景、その人を
とりまく、いろいろについて、どこまで、見える化し、理解かつ
ときにはとりのぞいていけるか?


その第一歩、基本のき、といったことが、傾聴です
ですが、この傾聴、全身で聞くといったことも、やるためには
一定以上のトレーニングが必要とも思います


だいたい、日常会話以上の、深さをもった話を真剣に他人と
する機会って、どのくらい、あなたは、日々もっていますか?


傾聴するということが、ほんとうにできること。それでひとつの
価値があるとも、思っています
さらには、河合隼雄先生の著書のなかの記述に、つなげますが
自己一致しながらの、傾聴なんですね
そうしたことが、前提にあって、根源的な伝えたいものがでてくるのだと
解釈しています