出会いということ

生きていれば、いろんなことに出会います
人との出会い、これが、生きる最大の喜びといっても
いいし、生き方に関するヒントといってもいいかもしれません
そして、こうして、五十数年、生きていて、出会いというのは
実は出会いはあるのに、その良さだったり、いろんなことに
気づけずに、つまり出会いというチャンスを活かせずに
過ごしてしまうということが、いかに多いかということに
気が付くのです


成功者の物語といった、ことにふれると、「人生の師」といった
大事な出会いが、その人の才能を開花させたといった
そういう文章にいきあたることが、よくありますね
このこと、実際その師に出会っていても、いいなにかが花開く
といったことはない、ということもあるでしょう。また
生徒になるその人も、ある先生については、うまく花開かず
別の先生に、出会うことで、自分のなかのなにかが動き出す
そういうこともあるでしょう


出会いというのは、縁だろうと思います
日本語にはこの「縁」といういい言葉があります
出会い、その人自身ということもあるでしょうが、その人が
その場所にいること、またその人を、囲む社会情勢
その人がなにを、そのとき、感じていたか、欲しいと思っていたか
こういうことにも、左右されるということがあるでしょう
すべてを、「縁」という言葉がつなぐということがありそうです


10代のときに、どんなことを、考え、どんなトレーニングを自分に課し
そして、どんな人と出会ったのか? これは本当に大きなこと
だと思います。「はじめて」ということが鮮烈だということ
また、感覚ということが、すごく研ぎ澄まされるということが
ありそうです


もちろん、20代、30代、いいえ40代以上になっても、学ぶことは
できるし、学ぶという行為のなかには、自己変革だって含む
ということもありそうです。また学ぶを高めていけば、自分の
感覚を研ぎ澄ますということも、必要でしょう
だから、10代でなにかしたことを、そのあとできない、ということは
ないのですが、それにしても、10代でなにをやったかが、基礎に
なるというkとおは、やっぱりありそうです


10代で、その人の生き方が、おおよそ、見えてくるということは
ありそうです。10代は、苦しいともいえます。自分の可能性を
感じながら、選択していくということが、求められます
自分がなにものか、感じること、おぼろげななか、選択する苦しさ
もがくでしょうね


でも自分の可能性ということを、信じられるタイミングというのは
一方でやっぱり、楽しいということもありそうです
事実、自分も思い返せば、楽しいと思って、時間を過ごしていた
部分もあるのです


縁を、思い、人との出会いということを、とらえていきたいと
思います。これからも、いいえこれからだから、出会える縁という
ことが、あると、信じたいですね