利休さん

千葉市美術館にて、村瀬太乙 「利休居士図」をみます
その表情は、なにかしら、「お笑い」の要素があると
みえます
戦国時代に、武勇を誇った武将が、慕ったという利休さん
実際、ほわんと、なにか笑いを相手に誘うような
そんな、面白いおじさんだったのではないかって想像します


また、茶の湯のいろいろを、広めた人として、有名な
わけですが、実際、ほんとのところは知らないのですが
英語で、tea ceremonyなんていいますが、セレモニー、儀式
ではなくて、もっとさらりとしていて、笑いがある、空間
だったのではないでしょうか?


高校時代の日本史の先生が、「茶を飲む」ことを文化に
高めたということ、これこそ日本、日本らしいところですと
説明していました。世界にそんなものはないのだと言いました
だけど、文化とはなにかということもありますが、お茶を飲んで
相手との、やりとりを楽しむというのは、ある意味世界共通の
楽しみであり、あってほしい平和で、いい空間なのでは
ないでしょうか


利休居士図、しばしそのまえで、絵を楽しみました
こうした、さらりとした絵は、俳画という世界で
与謝蕪村、そして同時代では、俳画とはいわないでしょうが
池大雅が、得意とした、絵だと、思います
十便十宜図、国宝は、この池大雅与謝蕪村の競作とでも
いいますか?田舎暮らしの、なんというか、気
楽さ、楽しさを
絵にこめた、やっぱり「笑い」「おかしみ」といったことが
でてる、いい、リラックスできる絵ですね


1年ほどまえに、府中美術館で、与謝蕪村の「ぎこちなさ」といった
ことを、テーマにした、展覧会があって、おおいに楽しみました
利休の、いた空間も、実は与謝蕪村が、楽しんだような
そういう世界と、重なるところがあるのではないかと、思いました


ときどき、江戸時代だったり、明治もそういうことがあったかと
思うのですが、アーティストが、その旅先の、豪商だったり、いいお家の
やっかいになりながら、人と交流し、絵なり、作品を残した
という話がでます。やっかいになる、というのが、ときに数か月、1年とか2年とか
そうなるというのですね。おそらく茶会があったり、絵を愛でるような
そんな時間があったのだと、思います
そして、そこに集まる人のネットワークもあったといっていいのでしょう


そうした、アートを楽しむ時間と人がいたということに
とても、あこがれます


そうした、時間、空間のよさを、ひろげるためのなにかをした
ということでは、利休さんはとっても、いいものを日本に残した
といっていいかもしれないですね


茶の湯は、敷居が高いと思っています
だけど、おそらくはもともとは、敷居が高いことなんて
なかったのだろうと、想像しています