友人と語る

友人との時間ってほんとにうれしいですね
特に、自分となにかしら、共通点があってそのことを
どんどん、話せるとなれば、これはほんとにすごい
エネルギーのチャージになるといっていいと思います


先週は、「アート」のことをどんどん話せる
いいえ、それはどちらかといえば、相手のほうが、知識だとか
アートに対する思い入れも、深く、こちらがどんどんというか
いろいろ思いがあって、しゃべったりすると、ちゃーんと受け止め
かつ、だったら、こんな感じもいいよなんて、関連する楽しいたとえば
作家の名前だとか、ある分野で楽しかったことなんかを教えてもらえる
これは時間がいくらあっても足りないって感じ


「へたうま」という感覚の話をしたのです
2年前だったと思います。府中市美術館において、与謝蕪村
展示がありました。解説によれば、与謝蕪村の「ぎこちなさ」
といったこと。まさに十八世紀の日本で「へたうま」といっていい
面白さを、面白がる人がいるということですとでてきました


へたうまって、現代だからあるのだろうなんて思っていたら
アートの好きなその友人は、11世紀に蘇東坡なんて人がいて
まさにへたうまといっていい、コンセプトで描いてるときます


「美とはなにか」なんて、ふってみたら、えんえんと、その文字の
起源からの話が続きます
途中からこちらが、理解できなかったので、もう一度たのもうかしら


美とはなにか、これはほんとに永遠のテーマといっていい
面白さといっていいかもしれないです
東山魁夷が好きになりました。そして、10年ほど前だったと思います
東京ステーションギャラリーに、川端康成東山魁夷の交流の展示が
あって、楽しみました。その解説のなかで、川端、東山、そして井上靖
3人(確か夫人も伴ってだったか)信州を旅したことが載っています
井上の手記に、川端と東山は、ずっと「美とはなにか」について
熱心に語り合ってるという、のですね


川端康成が、アートについて関心と、エネルギーを注いでいたというのは
東山魁夷の書いたものを読んでもわかります
作品を見るということも、ただ、見るというより熱心に時間をかけて
みてるのがわかります


今日ここに、書いてる友人と、美とは何かについて、ずっと語っている
そんなおつきあいが続いたらなんて素敵なことかと思います


川端、東山、井上が行った場所のひとつ、松本の北、安曇野と呼ばれる
広い土地を見渡せる、長峰山展望台があります
実際、長峰山には5回とか登っているのですが、その風景を眺めるとき
美とはなにかについて、少しだけ、川端や東山の眼に近づいているのかな
なんて思いながら、その場所に立っています


今日書いた友人と、アーティストが絵に描いた場所に行ってみる
それが、次の会うときの話題になっています
実際もう何回かそんな話題をしているのですが、なかなか計画が
進みません、1年以上の計画をそろそろ、立てたいところになっています
そんな思いが頭にはいっただけで、わくわくします