決める、やり方

「自然さ」がほしいこと、と思います
自分がやりたいからやるという自然な心の持ち方がいいと
思っています


ちょっと考えると、自分がやりたい、と、思うその「そもそも」
のところはなにか?というと、自分の経験からくる「考え方」
だったり「感じ方」というのが、やりたいとか、やったほうがいいと
判断、感じてるということがあるので、いかに、いい経験、体験
といったこと、生き方をするかといったことが大事と
なります


日常と、非日常のバランスがほしいですね
日常のいろいろを充実させるって、いいし、素敵だし
そこから、感性が磨かれるってあると思う
だけど、やっぱり日常は、いろんなことで、こじんまりして
しがいがち。
だから、ときどき、日常を思い切り忘れて、非日常の時間を
持ちたいと思います
一週間に一度はほしい、数時間の非日常
できれば、2か月に一度くらい、2日とか3日の非日常


小倉遊亀という画家がいます
3年ほどまえだったか、小倉遊亀の書いたものを
高崎タワー美術館でみました
小倉は、師匠である、安田靭彦から
「あなたの絵は型にはまってしまってる。その型を
こわしてみるのがいいです。そのためには、描いたことのない
画題に挑戦する、使ったことのない筆で書く、使ったことのない
色で描くをしなさい」と言われたと書かれていました


このこと、まさに「生き方」もそうじゃないかという
感じがします。なにかしら、型にはまった、やり方、考え方を
したいのが、人間ではないかと感じます
そうしたとき、やったことのないやり方
細かいかもしれないけど、ランチの店も行ったことのない店を
選ぶとか、なにか買い物をするのにも、違う選び方、店だったり
いろいろ、もちろん仕事のなにかについても、決め方とか
やり方を変えてみる


仕事でいえば、決めるのオーソドックスなのが、メリットとデメリットを
比べるなんてやりかたですが、感覚に任せてみるなんてのも
ありかもしれません


今はどんな時代?というとき「情報」というのが気になりますね
今は、情報があふれている、といっていいですね
そういうときどういう取捨選択をするのか?
これがほんとうに、難しいといっていいでしょう


あるとき、ほんとに大事な情報は「人」がもってると、気が付きました
ところが、そういう自分に大事な情報をもらえる人ってそうそう
増えるものでもないですよね
そのために、人に会うことのためだけに、いろいろエネルギーや時間を
使うというのも、疲弊しそうです


「古教照心」という言葉が、我が家の近く、大本山総持寺に掲げてあります
いいなと思いました
本も読んで、自分の考えももって、両方が大事と、私は解釈します


古典にふれるということも、実は新しいことを知るということなんだと
ずいぶん前に教えてもらいました
そういうことを、感じられる自分の心の状態を持ちたいですね


よりよく生きるのが大事
じゃあ、自分の場合はどうやって?
そんなことをずっと考え続ける、ってやっぱりいいことだと
思っています