生きにくさのなかです

人に会えないということ
それは、自分に成長がない、きわめてやりにくい
ということに、なるのではないでしょうか?


人は、「楽なほうへ」いろいろやってしまうという
ことが、避けられません。だけど、仲間がいて
その仲間がなにか、喜ぶとか、助かるのであれば
自分が、時間を使い、面倒なことをやっても、やろう
となるのが、いい感じの、生き方とも思いますが
その、「つながり」を作ることが、やっぱり「会う」
ということを、通じてしか、できない、とも思うのです


ドラマにおいて、すれ違いであり、対立というのは、必ず
といって入る要素といっていいですね。人と人が、なにか
する。すれ違ってしまう。ぶつかって、対立が起こる
こうしたことは、ドラマという空間だから、と思うかも
しれませんが、生きていれば、ドラマより、素晴らしく
より、鮮烈なことが、起こるのですよ
まさに、事実は小説より奇なり、といっていい


これはやっぱり、会うということがあっての、いろいろだと
思います。会うに優るコミュニケーションの手段はないと
考えるからです


こうして、会うということが、少ないのであれば
少ないから、貴重なんだと、認識することから、はじめる
しか、やり方はないのではないでしょうか


よく言われること
自分には、出会いがない、といったこと。それは多くの場合
出会いはあるのですが、自分の側にその出会いを活かす内容が
ないということが、あるようです


例えば、アートならアート、リーダシップ、でもいいでしょう
どんな分野でも、こだわりといったことでもいいと思います
ある人と、それなりの、接点ができるチャンスがあるのに
自分の側にそのアンテナがないゆえに、そのチャンスを活かせない
そういうことがありそうです


アートの作品に出会って、この作品は自分の心に響くと
思えることはとても、幸せないいことです
そして、そうした出会いには、繰り返し積み重ねた、いままで
みてきたもの、感じることができたものが背景に
あったりします


人との出会い。誰かと話して、その相手が、生きるその姿を
受け止められるのか
このことも、いかに自分が価値あるなにかを得ようと、努力して
いるかということに、つながり、同じ努力をしてるという
仲間に会うといった、そういうことがあって、刺激をもらえる
ということにもなるのではないでしょうか


会うということの、絶対量を増やすということをしなくては
やっぱりうすっぺらには、なりがちなのですが、まず「意識」を
高めることが、「今」できること、とも、言えないでしょうか


人に会って、自分が前に出て、その人と会うということを
貴重なものとして、とらえよう、そうした姿勢で人に
会うということ。


簡単ではない、とも、言えます
あまり意識しすぎれば、動けなくなりますから
だけど、こんな異常事態、だけど、何かしら、前向きに
生きるためのなにかを、したいですよね