立場が考えを決める

人間は複雑でいろいろ深くて面白いのですが
立場とか役割が考えを決めることって大きいと思う


自分が所属しているグループというか会社とかには
どうしても、肩入れする。それは自然だと思う
自分がリーダーとなれば、自ずとなにかまとめようとか
するのではないか


わが社でやってること。会議の議長をいろんな人に
やってもらうこと。会議のやりかたを書いてある本に
その組織の部門長が会議の議長をやってはいけないとあった
「決める」権限のある人が議長をやると、自分の決めたい方向に
話をひっぱってしまう
それと感じるのは、部門長は今の立場でいうと、自分は、議長を
やらなくても、関心は高いのだから、議長役を別の人にふって
関心をもってもらうということも必要だなと


演劇をやってるときに、登場人物になる役者は、登場人物の
性格や存在になろうと、役作りをするのだけどある面どうしても
役者その人のある部分がでてくるということがある
そして面白いことに、入り込んだ役に今度は役者自身が
ひっぱられるということもある


長澤哲也という人間は、社長であり、夫であり、テニス好きな、料理がすきな
人においしいものを食べてもらうのが好きな人間だ
思えば、人間はいろんな顔というか、役割という皮をかぶってると
思う。河合隼雄先生は、役割の皮は外側にくっついてるものというより
本質を言い表していて、つまりラッキョウのように皮をめくっていったら
全部皮だったということになるかもしれないと書いてる


前に社内の会議で、「いかに立場を超えて考えるか」ということを
テーマに少し話し合いをした
だいたい、なにかにとらわれて、話すということはおおよそ誰でも
どんなときでもやってるように思って、とらわれないでなにかするということは
それ自体難しい。だから少なくともとらわれてることは知っておこう
技術者の立場にとらわれてる
忙しい立場にいる
仕事を指示する、または指示される立場
ある場面で責任を問われる立場


立場を超えて、話ができるということをするためには
余裕と柔軟な考えが必要だ
相手だったら、どう感じるかそういうことをイマジネーションできる
状態ということが望ましい
思ってみると、チームで仕事するには、おおかれすくなかれこの
イマジネーションができないとなんとも窮屈だ
ただ、お互い理解しあおうとすれば、例えば最初はそれぞれの立場を
認めたうえで、自分がどう感じるか相手はどうかということを
交換するようにフランクに意見をいってみたら、少しわかるかも
しれない


いつかも書いたけど
そう書いてくると、フランクに、自分の感じてることをいいあえる状態
つまり仲のいい状態にいることがここでもいかに大事かなと
思う。
時間は有限だ。だからひとときの大事なタイミングを、逃さないような
気持ちを持ちたい
同じ時間は二度とこない
だから、面白いともいえるね