内容よりつながり

話がわかるという言い方がある
同じことを話していても、Aさんが話すと伝わる
Bさんが話すとよくわからない


その差はなんなのか
きっと思うのに、うまくつながりを作って、伝わるように
してるか、もしくは経緯からそうしたことができる、あるいは
できちゃってる様子のなかで話してるかということに
思い至る


人間は想像力もあるし、順番をへて、一定のところ自分の意識が
同じ方向をむけば、理解しやすいということがあると思う


料理の話をするとする
相手に旬のものを使うことが、大事だし自分は好きだと伝えたいとしたら
いまの季節の旬なものの、おいしさとか料理法とかの話をして
旬なものを食べる話を展開することがいいのだと思う
そして、可能なら相手も同じ経験をしてることをさがすということだ
「共有」できるということをさがしていく


旬なものの話をするのに、そのまえに、栄養素の話しをしたり
どこかの料理店の話しをしてるのでは、自分が「旬」なことにフォーカスしたい
ことが、話が散ってしまって伝わらないのでは?と思う


話がわかるというのは、その流れがわかりやすいということでは
ないか
だから、相手と共有できるものがあるときは
例もだしやすいし、いろいろ関連したことが、話にはいる
だから、いわば脳がそのフォーカスしたいことのモードに
なるわけだ


前にも書いた、文脈理解力
たとえば、世代間のギャップという話があって
文脈理解力のある人は世代間のギャップがある人とも
コミュニケーションがとれるという
こう書いてしまうと、少し見えにくくなるのだけど
文脈理解力があるといっても程度があるし、世代間のギャップが
ある人といっても、なんらか「つながり」がないと
なかなか、やはり伝わりにくいことには変わりない


「つながり」があること
少し極端な例かもしれないけど
話をするまえに、握手する機会とか
にっこりしながら、あいさつする機会があるとないでは
話の伝わり度というのは変わると思う
数日前まで読んでいた本、「ひとりで抱え込まない仕事術」 by リチャード・アクセルロッド他のp.120に「内容よりも、まずつながり」という説明がでている
この項をよむと、つながりを作るのは会話となって
そこから思うに、会話する心が開いていることってとっても
大事だと頭のなかではつながってくる


心がひらいていること、それは相対する人の考え、気持ちを
開いた気持ちで受け止めますよということだと思ってる
拒絶とか、真っ向からの反対なんていうにおよばず
しなやかで、あたたかく、伝えたいという意思はもちながら
相手を尊重して、相手の伝えたいことを、理解し
ときに自分の考えとくっつけて、よりいいと思う、展開を
作っていける
そんなイメージが「ひらいてる」状態だと思う


つながり、開いてる心
いつも、そんなイメージを忘れずに人と会えたら
その相手も、自分も幸せになることは間違いないね