感じる心

5月の、中学生のときに通っていた塾の同窓会にて
先代からもらった言葉は「感じる心」と話をしました
何を感じるのか、それは人の心
言葉のあやのようだけど、やっぱり一番は心


生きていれば、素晴らしいこと、気合がはいること
悲しいことなど、どうしても起こる
そうしたときに、感じないというか、たとえば素晴らしいことが
あっても、それを素晴らしいと感じれなかったら
どんなに、大きい損失だろうか


自分が努力してなにかやったことに、誰かが感じて
そういうことならいっしょにやりたいとなったと
いうことは、素晴らしいことだ
人間、ひとりでは生きていけないのだから
何かしら、人とつながることを必要とするし
そこまで気づいたなら、人とつながるいわば技術を
もつべきだ


自然体がいいので、人とつながるのには、やってることに
まちがいがなくて、あとは笑顔があればいい
というような感じで生きてる人が多い
それはまちがいじゃないでしょう
でもそうしていて、心ある人は気づいてくれるかも
しれないですが、十分でしょうか


なにかしら、自分から発信して「つながろう」ということが
必要ではないでしょうか
笑顔で、やってることがまちがいなければ、というのは
少し、事業をやってるとすると特に、消極的と感じます


それではどうしたら?
自分から発信するのがいいのか
まず思うのは、自分の思うところを伝える努力
なのでしょう
できればいろいろな局面で人に会い
自分の考えを伝えるという努力を続けること
それが大事のように思います


20代や30代の前半は、「がむしゃらに」人に会うことを
求めて、歩き回ったのです
それは素晴らしいことだし必要といってよかった
かなとも思う
けれど、やはりいまはがむしゃらさは残しつつも
少し、見通しをもって人と会いたいと思います
無理は禁物です
自然さが求められるし、事実そうした、必然ということに
もっと気づくことをしなくてはと感じています