週末は会議

わが社は技術者が集まる会社だ
その技術者が、どんな目的で会議をするのか


自分の現状を話して、意見をもらって、気付いて、
また考えを深めたところを話して、刺激しあう


私の役割は?なにかというと、「仕事をするひとり」として
どんなことが、今後仕事していくうえで大切なのか
少し経験が長い分、ヒントをだしたりすることかなーと思う


最近、そうした視点で思うのは、仕事するうえで
知識やノウハウ、また自己コントロールとか、他人とチーム作るときの
いくつかのやり方、望む姿勢などがあるわけですが
そうしたいろんなことを、身に着けていくのに「勉強しつづけていく」
ということが、どうしても必要です
ただ、勉強する対象は、「なんでもいい」と感じるのです
ひとつ、継続して勉強しつづけようとしたら
その対象はいろいろ、考えられる。そのうちひとつかふたつ
決めて、続けていってほしいなと思う


勉強しつづけることで、自分を豊かにして、仲間からなにか、刺激と
なるようなことを見せてもらったり、話してもらったりしたときに
いい刺激となって、自分の栄養にできるようにすることが
大事です
このことは、よく行く、総持寺というお寺のお堂にかかげられてる
「古教照心」ということにつながってるように思います
本を読むことと、あわせて、思ったことを人にぶつけて自分の
心を照らすということ


心を照らすということが、上記のようにできるとしたら
というか、照心ということの定義を、自分の勉強したことを
相手に話して、深めていくということとしていくと
「人間として、学ぶ」ということにどうしても、必要なやりかたと
いえるように感じる


最近、仲良くなってきたシステム会社の社長で、自ら研修を
企画実施してるという人と話していて、言葉の定義が研修を
通じてできると、その後の話で定義を使って、お互いの考えてる
ことを検証したりできるという話がでていた


定義の問題というと、なかなかとっつきにくいのだけど
最近、あー、必要かなと思ったりしはじめている
会社にとって、重要なことはたくさんあるのだけど
その重要なことを実現して、達成するいくつかのことがあって
そのいくつかのことが達成できたら、さらにそのことが前提となって
めざすべきものが見えてくる
こうした、多重構造のような、複雑さをもった、会社の進む道は
決して、ひとりががんばってもなかなか、できないと思う
いいえ、相当なカリスマがいれば別なのかもしれないですけど
私がひとりでやるというのは、しんどいし
実際私はひとりでやりたくはないのだ


仲間と、信じあい、刺激しあい、ときには対立があっても
それをのりこえ、チームワークでのりきりたい
会議において、誰かがいったことに、うまく反応して
刺激としてうけとって、また自分からも発信して
出入りのある、コミュニケーションをはかりたい