安曇野にて、安曇野の美しさをまさに教えてくれた
山下大五郎は、季節の変わり目をいとおしんだという
解説があった


もう明日は雪がふるだろうという11月のころ
明日は、秋の雲、秋の空の色になっていくという8月の終わり
今日ウォーキングしていてみる、朝の光はちょっと夏真っ盛りからは
趣をかえて、季節の変わるということを意識させる輝き方だ


旅にでてみて、実は身近にあったものなのに、みようとせずに
いたものを、見直してみようという気持ちになることは
よくある
ひとつ、旅の楽しみのおおきなものといってもいいかもしれない
大学のとき、高校からの仲良しと、京都、奈良を歩いて
仏像のよさに少しふれて、生まれた町にある観音像を
みたりした
そのあたりから、京都でも奈良でも、いいえどこかの古刹に
いったりすると、見慣れてると思ってる鎌倉の好きな寺に
いって、比べたりして味わうということも増えた


おチビのころから、高いところが好きだ
自転車にのれるようになったら、坂をあがって、さがって
海の見える丘のうえまで何度もいった
海がみえるということが、特別に思えた。それは
ビルの間だったり、いろんなものにさえぎられて意識してさがさないと
見えないような、感じのところなんだけど、海が見えると
ついつい、うれしくなるもの


旅にでて、たいていは地図をみていたりするので
急に海が見えたりということはそんなにないいのだけど
アングルとか、場所によって、おもいがけず海がみえると
うれしくなる
日本には、海があるなと、その美しさにいだかれてるのだなと
思う


東山魁夷が、学生のときに木曽にキャンプにいって、山の美しさに
すっかり魅入って、それから山の絵を描くようになったという
エピソードはこのブログに、前にも書いた
安曇野にいtって、アルプスの美しさにどんどんひかれている
自分がいる
長野、信州という場所がとても特別になっているのだ
このごろ、日本は地方にこそ、日本の昔からのよさが残ってるなと
感じることが多い。いいえそれは頭をひやして、思ってみれば
東京はじめ、都会が変わりすぎたということなのでしょうね


海も山も、ずっと好きでいたいなと思う
だから、日本がそうした美しさを残せる場所で
ありつづけてほしいとせつに願う