社員と育つ

「負うた子に教えられ」という言葉が、気になってます
人間は、おそらく意識して自分を成長させること、そのことが
すなわち、生きることなんです
でも、おそらく、自分を叱咤してくれる人って、歳をとれば
だんだん減ってきてしまいます


親しくしてる人と2週間ほど前に話していて
共通で親しくしてる人のことを、しゃべりました
優秀な大学をでて、結婚して子供を二人育てて
親の面倒もしっかりみて、いま大きな組織の部長さんを
しっかり務めてる。
そんな人生を送る彼女は、おそらく自分を叱咤してくれる
存在を求めてるという気がするといいました


いいえ、正確にいうと、見守ってくれてときと場合によって
叱咤してくれる存在がほしいということになるかも
しれません


テニスをしていて、「コーチ」の存在の大きさをとても
思います。的確にいまのプレイのまずいところを見抜き
そしてそのときの「やる気」の度合いをみながら、声を
かけてくれます
もしろん、こちらも人間、「いい指示」と「変な指示」が
あるなんて、思ってときに素直に聞けないこともあります
でも、コーチしてくれる存在は、テニスを続けようということの
大きなはげみになります
それは、見てくれてる人がいる。この課題を乗り越えて、コーチに
認めてほしいという気持ちがでるからです


人生においても、コーチしてくれる人がいて
いい質問、いい指示をとばしてくれる人がいるって大事です
いいえ、いい質問もいい指示も、二の次かもしれません
要は、自分が素直な気持ちで話したくなる存在が
ほしいのです


負うた子に教えられ
それは、自分が育てたという、愛着ある、大事な存在と
いっしょにいることで、自分のことを客観視し
また、ついさぼりたくなったり、安易な道で妥協したくなったり
する自分を叱咤する存在として、自分で定義することから
はじまるのかもしれません


さきほど書いた親しい人は、もうひとりの人へ
自分の大事な、存在として定義して、近くに感じながら
生きたいと思っているのでしょう


社員に対して、やはり自分が育てたいという気持ちが
どんどん、大きくなっていきます
それには、謙虚に「育ててやる」ではなくて
「いっしょに育つ」ということ、その気持ちをいかに
安定してもっているかということに、なりそうです
その、感覚はもっと深く、大きいものにしていかないと
なかなか、ゆらいでしまいそうと思ったりする


負うた子に教えられ
実践していきたい