負うた子に教えられ

負うた子に教えられ


この言葉、灰谷健次郎の「天の瞳」にでてくるのですね
独身で、不動産を経営してるという女性が、里子を
フィリピンがとってるという話があります
主人公の中学生、その通ってる中学校のPTAの会長も
しているという設定です


どうして、里子を育ててるのか、その答えを、その女性は
いいます。私は、自分が歳を取ったら、面倒みてもらおうとか
ないし、また、自分の会社を継がせたいたおいうのもない
そんなことは、むしろ、いやなんだ。ただ、負うた子に
教えられってこと、あるっていう。教えられてみたいんだよ


最近、自分より、若い人と接していてその人が育ってきたなと
思う時、またその人をもっと、育てたいと思う時
まさに、自分が面倒みてきた人に、相対してる自分を
みつめて、負うた子に教えられに近いなと、思うことが
しばしばあるのです


自分が育てた人だから、その人には、もっと育ってほしい
だったら、自分ももっと育っていかなければ、だめじゃないか
そんなふうに、自分自身を叱咤する、自然とそういうふうに
自分をしむける、そういう場面にでくわす
ということがあります


人の指導というのは、迷うものです
はたして、褒めるべきなのか、しかるべきなのか
正解は、?、こうやって言葉で描いていて、そのときどき
その人それぞれですから、どっちも正解といっていい
でしょうね


ただ、やっぱり自分だったら、どう接してもらいたいか
自分が理想と思う状況を思い浮かべるときどうなのか
それは、ちゃんと冷静に思いながら、接していくということを
したいなと思います


ときどき、さらけだす
自分の弱いところも、みせていこうということを
言います
だけど、なんどいっても、そうしたことに、気持ちがいかない
やってくれない、社員もいます
そうした社員を、しかるのか?
叱責して、わかるまで、おいつめるのか?


はたして、自分だったらそうしてほしいでしょうか
理想と思える状況のなか、そうした指導があることが
いいでしょうか


プログラムができて、ちやほやされるのは、せいぜい20代
それ以降のことは、本当の強みを見に着けないと
勝負できない


このことを、自分のことだと、受け止めて、努力できるのか
そうしたことを、できれば、確かに育って行ってる感じがします
けれど、正面に受け止めることができなくて、努力することを
さぼってしまうこと


はたして、叱責しますか?
叱らないとしたら、どうやって気づいてもらいますか?


迷うことは多い、とも、言えますね