負うた子に教えられ

灰谷健次郎 「天の瞳」に登場する
主人公の協力者といっていい、PTA会長もしてる経営者が
いる。東南アジアからの中学生の里親をしている
という設定です


どうして、里親をなさるのですか?と聞かれて
負うた子に教えられというでしょ、という話をする。
自分は、会社の後継者がほしいとか、まして、自分の老後を
面倒みてほしいとか、そんなつもりは、一切ないと、言い切ります
ただ、負うた子に教えられ、ということにとても心ひかれる
教えられてみたいと、つぶやくのです


このことが、ずっと気になっていました
風の谷のナウシカ」の原作本にも、負うた子に教えられの
言葉が、でます。ナウシカの先生、人生の師といっていい
最初の場面で、オウムに襲われる、人、名前を度忘れしましたが
彼が、後半につぶやきます。いまはナウシカにとって、私は
先生ではなく、生徒になりつつあるんだよ、と。それも
うれしそうに。


経営してるシステマーズにおいて、負うた子に教えられ
ということが、人材育成のひとつの到達点だなと、感じる
ことが、何回かでてきました


ひとつには、先代社長の、私への態度です
先代社長は、とても、傾聴ということを、大切になさっていて
まさに、自分の子供の年齢の私に(年齢差、31歳)じっと
耳を傾けてくださいました
ご自身、負うた子に教えられということを、意識されていたのか
わかりません。おそらくそうした言葉というより
どこかの古典にのってる、話なりで、同じエッセンスのあることは
ご存じだったのかもしれません


じっと、気持ちをすべてのせて、聞いてくださる
だから、こちらも、全身をぶつけて、話しました
生きる、ということ、学校であったこと、社会にでての
素晴らしい人との出会い、等々。


今から思えば、「見守る」ということを
なさっていた。私という存在を信じて、育つのを楽しみに
見守っておられたといっていいでしょう
事実、私も好きな女性とデートするときのような、そんな
わくわくというか、うれしさがあったように思います


負うた子に教えられ
自分が、大切に育てた、その子に、自分の知らない世界
だったり、実は知ってはいたけど、自分の意識のなかで
横に置いて、重視しなかったことを、再発見させてもらう
これが、自分の生きていくなかで、いかに大切なことか
私も、ほんの少し意識できたのは、30代だったかなと思います


人間って、なかなかやっかいなもので、大切なもの、大切な人
というのが、身近にあって、いつでもいっしょにいれる
いつでも、その大切なことを、手にできる、そういうときは
その大切さ、というのを、正確な、本当の価値というのを
感じれないのかな、と、思うときがあります。


つまり、もう会いたくても会えない、そういうことになってから
大切な人の大切さを、思うということが
よく起こるのです


負うた子に教えられ
そのことを、実現する、とても、いま、大事で
やりたくなっています