味わい深い人生を送ろう

若い人に、なにかを伝えたいといつも思ってる
それをぎゅっとつきつめていけば、味わい深い人生を送ろうという
ことになると思ってる


大学時代のゼミにおける、樋口禎一先生はおっしゃった
「人間、成長できれば、どんなことをして生きて行ってもいいんです。私は数学でした
ある人は将棋かもしれない。将棋だって人間成長できます」


樋口先生は、SONYの研修を担当したりとか、傾向と対策でも知ってる人は
いるかもしれない。人間、成長できれば何をしてもいいということは
なかなか、深い言葉だ


このブログに何度か書いてる、負うた子に教えられということ、ぜひ
実感したいとずっと思ってる。成長できてるということが、自分自身を肯定して
生きていくということに、必要な要素なので、成長するということが大事だと
最近気が付いた
「エースをねらえ」のなかで、宗方仁はつぶやく。自分は行き場のない激流が自分の
なかに流れてるのを感じて、その行き場がなくて、苦しかった、テニスに
純粋にひかれだしたとき、プレイヤーとしての夢もたたれた。苦しかった
そして、岡にあった。岡を育てることに一切の自分のすべてをかけていいと
思ったとき、いままでの生きたことのすべてを肯定できた。岡を育てる
そのためのめぐりあわせ、そのためにしてきた試練、環境づくりなんだと
思うことができた。楽になったという


人間は、なにかに「かける」ということが、大事になってくるように
思う。生きるということは「かける」ことではないか
スポーツに、仕事に、ある人を愛することに「かける」
そして、できなかったことができるようになること。そのことの喜びを
知ったら、人生変わるのではないか


自分で自分のやってること、生きてきたことを、肯定するってことは
すごいことかもしれない。そんなこと考えていたら、どうかなっちゃうよ
それもそのとおりだと思う
でも、生きるってことは、おそらく、無意識で生きることを許さない場面を
作り出すのではないか、と感じる
自分がそうだった。失敗もいっぱいした。けれど私は、先代社長の夢をひきつぎ
わが社を発展させることに、自分の人生をかけることにした
その生き方を、いまは声を大にして、肯定できる


人間は成長できれば、なにをしてもいいんです
樋口先生はいう。その言葉が、夜道をいくときの街灯のような役目を
して、生きてる。生き続ける
若い人に、そのままその言葉を伝えていきたい
自分が成長しつづけるという、かなり高い生き方、存在のあり方を
ぜひ、めざしてほしい。仲間とはげましあって、ぜひ真正面にとりくんで
生きてほしい。