年末年始

先週のわが社の会議で、一年という区切りがあるのは
素晴らしいことと、話をしました
それは、今年いいことも、うまくいかなかったことも
いろいろを、来年、またやろうと、区切りをつけて
反省したり、気持ちを新たにすることができるから


年末年始というのは、そういう意味でもあわただしい
学生のとき、クラブでドラマをやった。活動として
公演が12月にあった。だいたい夏休みに
準備がはじまって、何度も合宿をして、また放課後
集まって練習をして臨んだ
年末だから、今年最後の、活動だからとみんな
力をあわせて、やっていた


いろいろ反省したいこともある
仕事でいえば、やっぱり仕事の質や展開について
思い通りには、できてないことを思う
それは、「忙しかったから」とか「時期尚早」とか
「相手があることだから」などといいわけすることは
いくらでもできる
しかしながら、やはり自分の、また会社として足らないことが
あったことは、事実。もっといえばさぼっていたことが
あったことは、しっかりうけとめなくてはなと思う


他社がやっていて、いいなということをまねるということは
どんどんやったらいいと思う。また、いくつかのことを
試したいと思ったら、まずやってみたらいいと思うのだ
人間ひとりとしても、会社でもやってみもせずに
「だめだろう」と決めて、やらないことがとっても多い
まさに、実行可能性について、自らやらないことでせばめている


実行可能性について、ここのところ、こだわってる
いつか、日経新聞だったと思う、限界は脳がきめるという
コラムを読んだ。ほんとうにそのとおりだと思う
だから、いいな、やりたいなと思ったことは
実現できるように、真剣に考えて、イマジネーションを
ふくらませて、行動したいと思う


年末年始は、一年でできなかったことを、思うときだ
例えば、煮物を作ったりするのも、普段あえない人に
あったりするのも、毎年同じ神社やお寺にお参りするのも
やっぱり、意味があると思う
自分をみつめることにつながるからだ


寺社のたぐいでいうと、今年は忙しい日々のあいまをぬって
鎌倉に何度かいけたことが、とてもいい感じだ
静かな、境内を歩いていると、自分と向き合おうという
気持ちがふつふつと、心にわいてくる
そうした、気持ちが向くそれ自体がなにかいとおしい


限界は脳が決めると書いた
きっと、やっぱり、満足度ということも脳が決めるのです