20年

本日の日経新聞 「春秋」より


伊勢神宮は20年に一度、社殿を新しく建て替えてご神体を移す。飛鳥時代
持統天皇の世から1300年以上続く決まりごとである・・・
・・・神道の精神だけが式年遷宮の理由ではないらしい。伝統の裏側に
経済的な意味が隠されてる。建築や製品の技術を次の世代に伝えていく制度として
の側面だ


十代で最初の遷宮を迎えた大工が、次のときは三十代になってる
いわば、初仕事でなにもわからず、習うよりなれろとか、とにかく
「やってみる」というようなところから、今度は三十代にて
仕事ももちろん一定以上できるようになり、現場としては
一番技術をふるいがいがあるというようなところにきてる
また、当然部下も使い、教えなくてはならないだろう
この20年という意味はいろんな意味で、重要だし、伝えるということについて
示唆に富んでる


この20年という遷宮の話と技術の伝承の話は、最初ずいぶん前に聞いた
そのときは、「ああなるほど」と思っただけ。そして仕事をして
後輩を育てなくてはならないと自分に重ねて思うたびに
伝えるということの、大切さ、どうしたら、よく伝わるのかと
考える、また考え続ける


人間が変わるということについてよく思う
腹の底から、「ああそうだ」と気づくということが重要になる
人からちょっと指摘をうけてもその言葉はなかなか腹の底に響かないものだ
ここで、「理想的」なことをひきあいにだすことにする


自分の状態をいい状態に保ち、目標をもつことだ
目標、例えば、3年以内に5人のチームのリーダとして進捗の状態
のみならず、成果物の品質においても責任者としてプロジェクトで
活躍できるようになると、立てたとする
じゃあ、どうしたら、そうなれるのか、と考えを進める
その例はこうだ


「文脈理解力」⇒http://d.hatena.ne.jp/tetsuya556/20120531/1338414796
ということがある
それぞれ、環境、おかれた立場がちがう人とも一定の話し合いが
よくできるようになってこと。リーダとなるとその必要性を
強く感じるようになってるだろう


こうしたことを感じてる、状態があれば、人から例えば他人への
指示の出し方について、コメントをもらったとき素直にそのことを
うけいれて、自分の足らなかったことを、ポンと反省できるかもしれない
言葉で書いてしまうと、ちょいとうすっぺらに見えるのだが・・・


人にあるノウハウを教えるということに、一定の世代の差があるという
事はプラスになることがあると最近感じてる
まず一定の世代を超えて、心がふれあうようなやりとりを多くするということ
これは、そこそこエネルギーがいるのだが、そのことをやることで
見えてくるものが必ずあるものだ


伝えること
伝わったということは、その相手のふるまい、行動が変わらないければならない
そして、責任者たるもの、なにかまずい行動をしてる人がいたら
やはり、それを変えてもらわなくてはならない
できれば、機嫌よくそうしてほしい
だから、難しい
だから、やりがいがある
うーん。